私の今の「トイレの本」は、山本夏彦+久世光彦の「昭和恋々」です。
「トイレの本」というのは、たとえば星新一だったり、短編のエッセー集だったり…。

「昭和恋々」のサブタイトルは、「あのころ、こんな暮らしがあった」。
懐かしい白黒の写真と、長くても2ページ程度の文章で構成されていますので「トイレの本」には最適です。
トイレではイメージが悪くなるので「枕元の本」と言った方が良いかも知れませんが、今はトイレにあります。

今日その中に、「麦わら帽子」が登場しました。

「昭和のはじめごろ、夏の子供たちは麦わら帽子か、白いピケの帽子をかならずかぶっていたものだ…」。

「うたを忘れたカナリア」の西條八十の詩に、若かったころの母親を慕う「麦稈帽子」というのがある。
《母さん、僕のあの麦稈帽子、どうしたでしょうね? ええ、夏碓氷峠から霧積へ行くみちで、渓谷へと落としたあの麦稈帽子ですよ…》。ここでは《麦藁》ではなく《麦稈》という字が使われている。。。

ここまで読んで、ふと「人間の証明」が頭に浮かぶわけですが、「あ~あれって西條八十なんだぁ~」。
…とか言いつつ、西條八十のイメージは童謡とか昭和歌謡の何かを作詞した人って程度です。




「人間の証明」の原作は森村誠一ですね。昔、森村誠一は大好きでその他のシリーズもたくさん読みましたが、調べてみると「人間の証明」は1975年に「野性時代(角川書店)」で連載。映画「人間の証明」は1977年のようですね。

「YouTube」に、「人間の証明 テーマ曲 ジョー山中」がありました。
曲を聴きながら、当時の原文を読んでみるなんていかがでしょうか。



ぼくの帽子

 母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね?
 ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
 谿底へ落したあの麦稈帽子ですよ。

 母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
 僕はあの時、ずいぶんくやしかつた、
 だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

 母さん、あのとき、向から若い薬売が来ましたつけね。
 紺の脚絆に手甲をした。
 そして拾はうとして、ずいぶん骨折つてくれましたつけね。
 けれど、たうとう駄目だつた、
 なにしろ深い谿で、それに草が
 背たけぐらゐ伸びてゐたんですもの。

 母さん、ほんとにあの帽子、どうなつたでせう?
 あのとき傍に咲いてゐた、車百合の花は
 もうとうに、枯れちやつたでせうね。そして
 秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
 あの帽子の下で、毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。

 母さん、そして、きつと今頃は、―今夜あたりは、
 あの谿間に、静かに雪が降りつもつてゐるでせう、
 昔、つやつやひかつた、あの以太利麦の帽子と、
 その裏に僕が書いた
 Y・Sといふ頭文字を
 埋めるやうに、静かに、寂しく。

※「西條八十全集」第六巻。「ぼくの帽子」1922年(大正11年)2月1日「コドモノクニ」に発表。後に題は「帽子」。



「昭和恋々」には続きがあって…。

最近は《麦稈真田》といっても、誰も何のことかわからなくなってしまったが、昔は子供だって知っていた。
麦わらを真田紐のように編んだもので、これが麦わら帽子の原料になった。

ん~。何となくイメージは出来るような…。
だけど真田紐と言われてもピンと来ない…。

ちなみに、麦わら=麦藁=麦稈です。

大辞林 第三版の解説
ばっかんさなだ【麦稈真田】 麦わらを漂白して平たくつぶし、真田紐ひものようにして編んだもの。麦わら帽子の材料とする。麦わら真田。

「ムギワラ」ではなく「バッカン」の音でピンと来た!
牧草ロールって有名だけど、「バッカンロール=麦稈ロール=麦わらロール」麦わらをロールにしたものということは理解していましたが。なぜ「バッカン」と言うのかの謎が解けました。(笑)


あらためて詩を読んでみると切ないですね。

母と息子の間に共有していた大切なものをなくしてしまう。
なくしたもの。それは自分のせいではなかったけれど、探してくれる他人は居ても見つからない。
大切な物は無くしてしまったけれど今でも気にかかっているというのか…。

逆に「息子が想うほど母親は考えていない」と知り悲しかったのかもしれません。

 母さん、僕のあのオモチャどうしたでせうね?
 ええ、小さいころから遊んでいたブリキのオモチャですよ。

 母さん、あれは好きなオモチャでしたよ、
 リモコンで動く鉄人28号が押し入れから消えていた時なんか、ずいぶんくやしかつた、
 
あ、これは私の愚痴です。(笑)

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知里 幸恵 vol.1

 死去する2ヶ月前、大正11年7月に滞在先の東京の金田一京助の自宅庭で撮影

知里 幸恵(ちり ゆきえ、1903年(明治36年)6月8日 - 1922年(大正11年)9月18日)は、北海道登別市出身のアイヌ人女性。19年という短い生涯ではあったが、その著書『アイヌ神謡集』の出版が、絶滅の危機に追い込まれていたアイヌ民族・アイヌ伝統文化の復権復活へ重大な転機をもたらしたことで知られる。

弟に言語学者でアイヌ人初の北海道大学教授となった知里真志保がおり、幸恵の『アイヌ神謡集』の出版以降、大正末期から昭和にかけて、新聞・雑誌などからはこの姉弟を世俗的表現ながらも「アイヌの天才姉弟」と評された。@Wikipedia(画像は加工してあります)

皆様は、「知里 幸恵」という人をご存知でしょうか。
今回はvol.1として、時代背景をお伝えしたいと思います。

明治36年6月8日の生まれですから、それ以前に明治政府のアイヌ人の漁業や狩猟の禁止や日本風氏名への強制改名、さらにアイヌ固有の習慣・風習禁止や日本語の使用などにより、アイヌ民族そのものの日本人への同化政策が行われていました。

・1871(明治4年) 開拓使(明治政府)により、アイヌの習慣である耳輪・入墨・家屋葬送が禁止される。日本語の使用を強制。戸籍法制定アイヌを「平民(旧土人)」に編入。

・1872(明治5年) 開拓使仮学校付属北海道土人学校設立。アイヌ民族を象徴する儀式の「イヨマンテ(熊送り)」禁止。

・1875(明治8年) 樺太千島交換条約により、108戸841人のカラフトアイヌを北海道に強制移住。

・1876(明治9年) 鹿狩規則を定め、アイヌの伝統猟法、仕掛け弓・毒矢の使用禁止。氏(苗字)を用いるように通達しアイヌの戸籍がほぼ完成する。

・1878(明治11年) アイヌの呼称を「旧土人」と統一。札幌郡内の河川で鮭漁禁止。

・1883(明治16年) 根室県で旧土人救済方法を実施、強制移住や農耕指導などを行う。鮭漁の禁止。

・1888(明治21年) イギリス人宣教師ジョン・バチェラー、幌別村(登別市)にアイヌ児童教育施設「愛隣学校」設立。

・1889(明治22年) 道内の鹿猟を全面禁止。北海道各地でアイヌの「保護地」への強制移住が起こる。

・1894(明治27年) 近文(旭川市)の、アイヌへの付与予定地を決定。

・1899(明治32年) 北海道旧土人保護法制定。(1万5千坪以内の土地を付与、教育・共有財産管理などを規定)。第二期、旭川近文アイヌ給与地問題発生。第七師団の旭川への設置に伴い近文アイヌの転出計画が持ち上り利権屋の暗躍。旭川のアイヌによる反対運動が展開、事件は中央政界の汚職問題へと発展し移転は阻止される。

・1900(明治33年) 近文のアイヌの給与予定地を大倉喜八郎らへの払い下げを決定するも反対運動により取り消される。

・1901(明治34年) 旧土人児童教育規程公布。1911までに全道に21の土人学校を開設する。

・1903(明治36年) 近文アイヌ給与地問題再燃、旭川の川村モノクテ、土地問題で道庁へ赴く。

略年表を作ってみましたがアイヌにとっては酷い時代でしょ。
現代の日本であなたが突然…。

メイクもネイルも禁止ですからね~。
日本語も話しちゃダメですし、名前も変えてもらいますよ~。
それから米・鳥豚牛肉は食べられなくなるし、引越ししていただきますので~。

そんな時代を体験した両親(父・高吉、母・ナミ)の娘として、1903年(明治36年)6月8日「知里 幸恵」は登別で誕生します。

朝吉 ~2017~



今年も年に一度?の「朝吉」に行ってきましたよ。

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メニューに変化はあるのかな? 

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とりあえず昼間っからビール!(笑)

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たしか「豚サガリ」と「牛レバー」。「キムチ」と「シーザーサラダ」だったかな?

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もちろん「塩ホルモン」と、このお店の最高額のメニュー「特上カルビ-」。

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焼きの光景…。美味そうじゃない?

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↓こちらは美味そう?撮影用にFIRE~しました。(笑)

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先日、北関東で放送になった「おにぎりあたためますか」の旭川編。
やはり5~6年前で正解でしたね。(笑)

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過去記事は、こちら→「SEARCH TERMS (7 hits) : 朝吉」
「おにぎり」の記事もありますよ。



今年も初セリでは数十万円の値が付いたスイカですが、ゼリーとかいろいろ…。

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ま、高いのか安いのか分かりませんが、箱のアイディアはよろしいと感心していたら、箱ナシを購入するお母さんが…。(笑)

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飲んでもいないのにですが、北海道のローカルラジオSTVの某番組では不味いと自虐的なサイダー。

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とは言うものの、新たなる塩?なんてのもありました。
いつか、味についてレポしなくては…。

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こちらは「でんすけ」のカットスイカ。
独自のシャクシャク感を味わうなら、これで十分かも。
個人的には、小平の「サマーオレンジ」の方が好みかも…。

過去記事あります。

「小平町の道の駅 ~おびら鰊番屋~」
小平のスイカ「サマーオレンジ」と、メロン「クビナガリュウの玉(たまご)」

旭川市 「雪の美術館」 vol.6

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お土産物いろいろ…。

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やはり、雪とか氷をイメージさせるキラキラ物とか…。

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ミントでは無く「和薄荷」で紹介してほしいな。(笑)
JM-23なんだから。。。

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解る人だけ判ればよろしい「優佳良織」。
あちらの方はキラキラしか見ていません?スマホで何かしら検索しながら…。

過去記事の「旭川市 優佳良織工芸館は閉館中」にあるように、「優佳良織」は現時点で新作は無い。もし誰かが同名で復活させることが出来たとしても、旧とか新とかの壁ができるはずですね。

つまり、在庫限りの貴重品って品々なのか…。それなら絶対買いですよよね!
とはいうものの、かなり高額ですからなかなか手が出ません。(笑)

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旭川市 「雪の美術館」 vol.5



「スノークリスタルミュージアム(雪の結晶美術館)」。

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世界で初めて人工の雪の結晶をつくるのに成功したのが、北海道大学理学部教授の故中谷宇吉郎さん。

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中谷さんは人工雪の実験から「雪の結晶の形の変化は成長する時の大気の条件による」として、水蒸気の湿度と温度による結晶の変化を「雪の結晶のダイアグラム」としてまとめました。雪の形から上空の気象条件を推定できると…。

過去記事に、「雪は天から送られた手紙」 があります。

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雪や冬の気象現象(サンピラーとか…)についても映像でお勉強できますし、古い資料も展示されています。

旭川市 「雪の美術館」 vol.4



「螺旋階段」から「氷の回廊」を抜けると「音楽堂」。
その周囲には、「ミュージアムショップ」「雪の館」「カフェレストラン スノーナ」「画廊」「スノークリスタルミュージアム+シアター」。

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何が何処かは何となくって感じですけど…。
ここは間違いなく挙式後の披露宴にいかがですかって感じ。

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↓こちらの部屋は絵とか海外の織物とか…。
実は、布と椅子のコラボが目当て…。

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雪の結晶を集めた「スノークリスタルミュージアム」がこれかな?

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インパクトがあるのか、テレビの番組にも登場しますね。

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雪の結晶は、北海道大学低温科学研究所の故小林禎作さんの研究資料です。同研究所助教授の古川義純さんが監修して構成され展示されています。
6000枚の雪の結晶の顕微鏡写真は、小林さんと古川さんが20年以上の歳月をかけて大雪山の雪洞にこもり撮影したものだそうです。

オリンパスのTG-4での広角一杯の撮影です。

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ニコンの一眼、超広角で撮りたかったけど…。
画角はもちろん、きっと色の再現も違ってくるでしょうね。

お土産含めでリベンジ?(笑)