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今季初の鉢植え開花



5/5 今季初の鉢植え開花は。↑「ユーパリコザクラ」と、↓「エゾオオサクラソウ」「エゾキスミレ」。

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オキナグサの仲間は…。

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カタオカソウ。

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カシポオキナグサ。

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ルイコフイチゲは2鉢。
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免疫力を高める食べ物



過去記事に 「行者ニンニク」の有効成分とその働き があります。

ご覧いただいている方は少ないのですが…。

免疫力を高める食べ物の最高峰にあるのは「ニンニク」であるとNHKのラジオ番組でやっていましたね。
そのニンニクよりもっと栄養分的に強いのが、これからが旬の山菜である「行者ニンニク」ですね。

今年は雪も少なく、庭のものは早かった…。

今日、チョイチョイと切って醤油漬けにして、夕食に少し葉だけ食べました。
気のせいか、元気になったような…。(笑)

 鈴木北海道知事(元夕張市長)

北海道の発表では"新型コロナ"感染者は77人。
全国の都道府県では最多になります。

が…、政府の専門家会議が道内感染者は推計940人に上るとの考えを示しました。

メンバーの一人、北大医学研究院(理論疫学)の西浦博教授が2月25日の時点の調査で940人に上る試算を示し、「(公表されている)道内感染者は77人だが、推計と10倍のひらきがあり、軽症で若年層に広がっているのでなければ整合性がつかない」と述べました。

ゲッ!と思うかもしれませんが、私の認識ではもっといるのではと思っています。
北海道のHPに「新型コロナウイルス感染症の道内の発生状況」があります。

№6、 2/21 10歳未満 男(中富良野町)が発表された頃、旭川の「冬まつり」に来たのかな~とか、富良野で…とか想像していました。北海道の冬といえば札幌の「雪まつり」をはじめ、各地で冬のイベントが開催され、世界各国から観光客がたくさん来ていただいていますが、特に中国の南部やシンガポール・タイ・ベトナムなど雪の降らない地域の方にとっては、人気の地になっています。
「新型コロナウイルス」が認知され発症を自覚していれば、旅行をキャンセルするかと思いますが、それ以前に軽くセキが出る程度とかであれば、せっかく予約したから…って旅に出るかもしれませんね。

そこで一番怖いのが、まったく自覚症状の無いまま菌を持ってくる者。(あえて媒介者としましょうか…)
たとえばスポーツジムに通っていて、いつも通りに…(笑)。

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「新型コロナ」→「本人感染(自覚症状無し)」→「他者が感染」→」「本人自覚症状無しのまま完治」ってありだよね。
国は、数は少なく少なく発表…。国のおバカな見栄。
そんな数で国民をダマスより、こんな数値もありますよって…。

明日も参議院で、ますます揉めることでしょう。


見えないモノ


放射能や菌 人はいつも目に見えないモノに囲まれて生きている

人の心や想いだってそうだけど 見えないからこそ怖い

でも それが見えてしまうと もっと怖いけどね


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で、新コロナウィルスのお話です。

北海道は、都道府県別では2/28現在66人と全国で感染者が最も多く確認されていますが…。
今日、鈴木知事が緊急事態宣言をして、週末の外出を控えるよう呼びかけました。

鈴木知事は先日、出来ることはすべてやる…とのコメントも出しました。
ま、何を言っても是非は付き物ですから、正解はないのかもしれませんが、姿勢としては評価に値すると思います。
数か月後には、国と道の対応が比較されるでしょう。

ついでに思うこと。
そもそも「新コロナウィルス」って…、ですね。
コロナって太陽のコロナなのかなぁ~とイメージしましたが、語源はそのようですね。



太陽のフレアっぽい姿をしていますが、そのウィルス大きさは…。
画像では100nmって感じですね。

ナノメートル(nanometre)は、10億分の1メートル。
1nm=0.000001 mmですから、100nm=0.0001 mmですね。たぶん(笑)

ちなみに花粉のサイズは3μmで、インフルエンザウイルスは0.1μm…。
μmはマイクロメートル(ミクロン)で、1ミリメートルの1000分の1です。
1マイクロメートルは、0.001 ミリメートル=1000 ナノメートル。

ということは、花粉症対策用のマスクをしたところで、ウィルスは楽々通過するサイズ。
マスクマスクと騒いでいますが、何用なんて報道で聞いたことはありません。
専門家といわれるようなコメンテーターもマスクとしかいいませんね。

セキやクシャミをしてもマスクさえしていればOKなんて笑っちゃいます。
国レベルでマスク増産なんてのも、意味があるのかないのか…。

さらに、妄想するのですが…。

例えば交通機関なりショッピングモールなり人が多くいるスペースで、上着の背中にウィルスが付着した場合ってどうでしょう。
帰宅後に丁寧に手洗いしました、さらにアルコール除菌もしました、翌日に同じ上着着ました。

そんな油断といいますか、手洗いしていればって信じていても感染のリスクありですね。
想像性といいますか、可能性といいますか、国はそこまでの喚起なんて期待できませんので、ご自愛ください。

でね、本当にヒトリゴト言っててもなんですが。次亜塩素酸ナトリウムってご存じでしょうか。
殺菌・消臭の効果があり商品化されていますが、この成分って?

アルコール除菌よりも効果がある!
…なんて商品は信用のおける有名メーカーが実験の結果で証明しています。

しかし、なんとなんと、漂白剤?のブリーチと同じ成分なのです。
それも1リットルの水にブリーチを数滴いれたもの…。

商品は約2000円もしますが、家にあるブリーチと100均のスプレーボトルを買ったって…。
マスクやアルコールは手に入らなくても、ブリーチはいくらでも買えるでしょ。(笑)



今年もブログを継続します!
皆様が見てくださって、少しだけでも良かったと想っていただける記事をお伝えできればと願っています。


北海道で、助ダチ(スケソウダラの白子)というと味噌汁とか鍋に入れるとか…。
あとは居酒屋で良くあるメニューは、スケソウダラではなくマダラ(真だら)の白子のポン酢だったり天ぷらだったりが定番です。

で、なぜか醤油に漬けたらどうなるのだろうかと実験しました。
失敗したら勿体ないので小さなタッバに少しだけ入れて、昆布醤油を入れた時に「そういえば行者ニンニクのタッバどうすんの?」との声が…。

春先に作り、記憶から消えていたタッバには中身は無いが行者ニンニク醤油が。
もったいないので、しょっぱくなるかと心配は有るものの身が隠れるほどにたっぷり入れました。

約1日が経ちまして…。

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結果。
見た目は個人差がありましょうが。(笑)
助ダチの食感はプリップリになり、良く出来たものでなんと丁度良い塩加減になりました。
刻んだ行者ニンニクがあれば最高の酒の肴って感じです。

これって北海道民の助ダチのイメージを覆すかと…。
1パック200円程度で新鮮な助ダチがスーパーに並んでいます。
居酒屋さんでも、このメニューは見たことないので、いかがでしょう。
利益率高いと思いますけど…。(笑)


名寄市北国博物館 北風磯吉



北風磯吉はテシオアイヌで、農民として軍人として大正から昭和を生き抜いた「アイヌネノ・アン・アイヌ(より人間的である人物)」と言われた人物。
「北国博物館の常設展示室」に北風磯吉の生涯やナヨロコタンの暮らし、名寄地方で収集されたアイヌ民族資料などが展示されています。

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説明文には、北風磯吉は、明治13年(8年?)天塩国上川郡上名寄村15線キトウシヌプリ付近(現:上川郡下川町上名寄)で生まれ、16歳で入植前の天塩川流域の測量に加わり、明治31年にアイヌ給与地の天塩川と名寄川の合流点にある内淵に移住し農業に従事。

旭川第七師団に応召し日露戦争では伝令として活躍した功績が認められて金鵄勲章を受け、アイヌの勇者としてたたえられる。
除隊後も内淵で農業を続け、地区の学校建設地と建設費を寄付するなど人々の信頼を集める。

天塩川内陸部の最後のアイヌ文化伝承者として、多くのアイヌ語や民族調査に協力し「分類アイヌ語辞典」「アイヌ語方言集」などの多くの書物の成立に貢献。

晩年は日進で炭焼きをした後、旭川の養老院に移り、昭和44年に一生を終える。
没後、生活・民俗資料は親交のあった郷土史家の神山元氏が保存。神山氏の没後に遺族から名寄市へ寄贈。

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ネット上にあった、年表はこんな感じ…。

1898(明治31)年5月に名寄町内淵(現:名寄市内淵)に移り住み農業に従事。
1900(明治33)年12月 札幌月寒歩兵第廿五聯隊第二大隊第五中隊に入隊。
1903(明治36)年 満期となり除隊。
1904(明治37)年8月 旭川第七師団に豫備役として甲種合格入隊し日露戦争に従軍。11月 敵陣に前進中に左腕に敵弾を受ける。白襷決死隊に参加。
1905(明治38)年4月 北海タイムス(現・北海道新聞社)に武功を讃える記事が掲載される。6月満州から帰還、功七級金鵄勲章、年金百円、白色桐葉章、従軍記章を受章。

このあたりまでは戦争で活躍した人生。
その後は地域貢献と、アイヌ文化の継承者としての人生になるのでしょうか。

名寄の小学校に学用品を寄贈。名寄尋常高等小学校所属内淵特別教授場の設置の際に敷地を寄付。校舎建設費として50円を寄付。

1941(昭和16)年名寄町日進10線にて、坂本忠夫氏に雇われ炭焼きをする。冬は造材夫として1950(昭和25)年まで働く。
 ※この頃名寄地方のアイヌ伝承者として認められ、多くの研究者の調査などに協力。
1953(昭和28)年6月 身寄りのなかった磯吉は旭川清和園に入園。
1969(昭和44)年2月 肺結核の為逝去。

ついでに、上名寄地区の歴史は…。

1798(寛政10)年 武藤勘蔵らが天塩川を遡り上川に来る。(蝦夷日記)
1800(寛政12)年 間宮林蔵が、松前蝦夷地図作成のため天塩川を遡る。
1807(文化4)年 近藤重蔵らがオホーツク沿岸から名寄川上流に出る。
1859(安政4)年 松浦武四郎が天塩川流域を踏査し、名寄川およびサンル川まで至り、のちに天塩日誌を著す。

1869(明治2)年 蝦夷を改めて北海道として11国86郡を定める。手塩国に6郡が設けられる(増毛、留萌、手塩、上川、中川、苫前)。8月天塩地方は水戸藩領となる。
1871(明治4)年 天塩一帯の支配は水戸藩から開拓使に移る。
1872(明治5)年 宗谷支庁の管轄化になる。開拓使宗谷支庁中主典の佐藤正克が名寄川を拠点に翌年まで越冬、名寄付近の実情調査を行い「闢幽日記」を著す。
1882(明治15)年 開拓使廃止され、札幌県に属す。
1886(明治19)年4月 北海道庁を設置する。
1888(明治21)年 名寄川沿原野(名寄原野)に殖民区画設定。
1897(明治30)年5月 天塩道路(現・国道40号)旭川から着工。
1897(明治30)年6月 増毛支庁管内の天塩国上川郡に剣淵、士別、多寄、上名寄の各四ヶ村が置かれ、天塩戸長役場管轄になる(現:下川町は上名寄村に属す)。
1899(明治32)年5月 天塩国上川郡を上川支庁に編入し、剣淵、士別、多寄、上名寄を管轄し剣淵戸長役場を設置する。下川地区区画測量行われる。
1900(明治33)年 上名寄村に山形団体が入植。越中・相馬団体入植。
1901(明治34)年 岐阜県郡上郡高鷲村・北濃村(現・岐阜県郡上市)から25戸が、上名寄原野16線~19線に集団移住。
1902(明治35)年、4月剣淵戸長役場より分離し、上名寄村他二ヶ村(多寄、下名寄)戸長役場を設置。上名寄に岐阜団体第二陣。八丈団体が入植。5月ニの橋に新潟県人、谷庄三郎が入地する。10月名寄~下川間に仮道路ができる。
1902(明治35)年4月 剣淵戸長役場より分離し、上名寄村他二ヶ村(多寄、下名寄)戸長役場を設置。上名寄に岐阜団体第二陣が到着。八丈団体が11線~15線に入植。10月名寄~下川間に仮道路ができる。
1903(明治36)年9月 天塩線(現・宗谷本線)の士別~名寄間が延伸開業し、多寄駅、風連駅、名寄駅を新設。上名寄~興部間の道路開通。藤原次郎左衛門が水稲の試作に成功。パンケヌカナン駅逓、シカリベツ駅逓が開設され付近に商店が出来る。下パンケ地区の開拓が始まる。
1904(明治37)年 北見街道の名寄~紋別間が完工。6月上名寄19線に簡易教育所設置。上名寄19線に小祠を建立し天照皇大神を奉斉。
1904(明治37)年北見街道の名寄~紋別間が完工。6月上名寄19線に簡易教育所設置。児童数は30名。上名寄19線に小祠を建立し天照皇大神を奉斉。17線に布教所(東本願寺派)ができる。
1905(明治38)年 2月パンケヌカナン駅逓を下川駅逓に、シカリベツ駅逓を一の橋駅逓に改称。4月天塩線が官設鉄道に移管。
1906(明治39)年 下名寄(現・美深町)が上名寄戸長役場から分離。3月下川郵便局が開設。この頃から下川の木材流送が始まる。
1907(明治40)年4月 下名寄・中川のニ村を割き、上名寄他一ヶ村戸長役場を設置。23線に下川簡易教育所を設置。一の橋に村上貞次郎入植する。山火事が起こり上興部の境まで延焼する。砂金ブームとなり下川の各沢で採取・発掘。澱粉工場が稼働。
1907(明治40)年上名寄23線に下川簡易教育所を設置する。
1908(明治41)年8月 下川簡易教育所を下川尋常小学校に改称。珊瑠・二の橋特別教育所開設。然別(一の橋)特別教授場開設。
1909(明治42)年4月 戸長役場制が廃止となり多寄村が離れ、二級町村制が施行。上名寄村が誕生。上名寄村風連別が多寄村に編入。10月旭川~名寄間が天塩線と改称。 下川医院が開業する。
1911(明治44)年4月 上名寄~羽幌間の鉄道建設運動がおこる。一の橋からの造材が本格化し夏季に名寄へ流送する。

1912(大正元)年9月 天塩線が宗谷線に改称。上パンケ八号以南の開拓が始まる。
1913(大正2)年 上パンケ神社建立。
1915(大正4)年11月 一級町村制が施行され、上名寄村が名寄町となり属する。ペンケ地区に小作人が入地する。
1916(大正5)年6月 名寄電力発電株式会社設立。谷井農場でパンケ御料地を借受ける。
1917(大正6)年 サンルにて寺島庄次郎が金の転石発見。
1918(大正7)年 下川尋常小学校に高等科を設置。合資会社下川木工場を設立。名寄線の鉄道工事着工する。
1919(大正8)年3月 下川木工場を株式会社としハネ材を利用して火力発電を行う。余剰電気を市街地にも供給。10月名寄線として名寄~下川間の鉄道が開通し、上名寄、下川の各駅を新設。宗谷線が宗谷本線に改称。上名寄と下川の駅周辺に市街が出来る。
1920(大正9)年6月 下名寄村から智恵文が分村し二級町村制施行。10月名寄線、下川~上興部間の鉄道が開通し、一ノ橋・上興部の各駅を新設。名寄女子職業学校(現・名寄市立大学短期大学部)が創設。
1921(大正10)年3月 中湧別~興部間が名寄東線として開業。名寄~上興部間を名寄西線に改称。10月上興部~興部間が延伸開業し全通。名寄線に改称。一の橋も駅周辺に市街が形成される。
1922(大正11)年 下川分村運動が広まる。
1923(大正12)年11月 名寄線を名寄本線と改称。
1924(大正13)年1月 名寄町から分村、二級町村制が施行され上川郡下川村となる。
1919(大正8)年10月 名寄線として名寄~下川間の鉄道が開通し、上名寄、下川の各駅を新設。上名寄と下川の駅周辺に市街が出来る。駅前には運送店・倉庫・待合所・旅館・商店などが立ち並ぶ。この頃冬には造材人夫として働くことで農家にとって大事な収入源となった。
1924(大正13)年1月 名寄町から分村、二級町村制が施行され上川郡下川村となる。
1926(大正15)年11月 上名寄にサケ・マス孵化場設置する。12月珊瑠鉱山が三井鉱山株式会社による操業を開始。

1928(昭和3)年5月 北海道バター工場(雪印乳業株式会社)開設。一の橋に村上経木工場開設。サンルに林木工場開設。上名寄に電灯点く。
1930(昭和5)年 上名寄に貯水池出来る。
1930(昭和5)年 天塩線が宗谷本線に編入され、旭川~幌延~稚内港間が宗谷本線となる。音威子府~浜頓別~稚内間を分離、北見線(後の天北線)に改称。
1932(昭和7)年 10月湧別線の遠軽~下湧別間を名寄本線に編入し、名寄本線(名寄~遠軽~中湧別~下湧別)とする。パンケ・21線・22線・新興地区の開拓始まる。
1933(昭和8)年 ペンケ落合沢にて浅沼関市氏が鉱石を発見、今堀喜三郎が採鉱に着手。三井珊瑠鉱業所に精錬所を建設。桑の沢・御車沢に開拓者が入植。一の橋に電灯が灯る。
1934(昭和9)年 名羽線(名雨線)の着工にかかる。山本貞二がサンル12線に木工場を建設。
1936(昭和11)年 サンル軌道敷設する。
1937(昭和12)年11月 名寄~初茶志内間を名雨線として新規開業。
1939(昭和14)年 森林軌道パンケ線開通。
1941(昭和16)年 三菱鉱業株式会社(下川鉱山)による操業を開始。
1942(昭和17)年 パンケ森林軌道を新設。下川集乳所設置。
1944(昭和19)年 三井珊瑠鉱業所金山廃鉱。

1945(昭和20)年 新下川鉱山に選鉱場完成。開拓移民緊急入植。東京・横浜方面から開拓者が入植し、数年間続いた。
1947(昭和22)年 パンケ地区が電化となる。
1948(昭和23)年 パンケ村の有地解放により11戸が入植する。
1949(昭和24)年3月 町制施行し下川町となる(下川町上名寄となる)。
1950(昭和25)年 下川~風連間の開拓道路開削。サンルに自家発電施設設置。新下川鉱山索道輸送に切り替えペンケ軌道を撤去。
1951(昭和26)年6月 下川~雄武間の開発道路を開削。12月下川町役場新築落成。磯部鉱業所サンル金山の事業開始。
1952(昭和27)年8月 陸上保安隊名寄駐屯部隊キャンプ地工事着工(現・自衛隊名寄駐屯地)。
1954(昭和29)年8月 智恵文村と合併、新名寄町が発足する。一の橋までバスが運行される。上名寄中学校校舎竣工。
1956(昭和31)年4月 市制施行し名寄市となる。5月一の橋市街で大火が起こる。サンル森林軌道を廃止し、トラックに切り替える。
1957(昭和32)年5月 下川市街地にて大火。王子製紙山林から火災が起き、下川風連境まで延焼。
1959(昭和34)年8月 毘沙門天像を町有形文化財に指定。パンケ森林軌道を撤去。
1962(昭和37)年4月 奥サンル、幸成地区が開拓パイロット事業に指定。
1963(昭和38)年1月 町立下川病院新館新築落成。
1964(昭和39)年6月 下川~朝日間の道路着工。10月下川小学校ハルニレを有形文化財に、上名寄郷土芸能をを無形文化財に指定。
1968(昭和43)年5月 名寄川頭首工通水式挙行。6月奥サンルにて大火。
1970(昭和45)年1月 下川シャンツェ完成。
1971(昭和46)年 開成・渓和・二の橋・珊瑠・下川の小学校が統合。
1972(昭和47)年3月 渓和・珊瑠・二の橋・開成小学校の閉校式を挙行。珊瑠中学校を下川中学校に統合。11月道道下川~朝日線開通。下川小学校校舎落成。
1974(昭和49)年9月 下川町独立五十周年記念式典挙行。役場庁舎新築落成。11月一の橋簡易水道通水。
1976(昭和51)年3月 町営サンル牧場計画が策定。三菱金属下川鉱業所が分離「下川鉱業株式会社」となる。
1977(昭和52)年12月 50m級のシャンツェする。
1979(昭和54)年9月 上名寄地区用水施設工事着工。10月モサンル遺跡発見。
1981(昭和56)年6月 サンル牧場開設。
1982(昭和57)年4月 ふるさと開発振興公社(五味温泉)の発足。12月「下川鳴る石」を文化財に指定。
1983(昭和58)年2月 下川鉱山が休山。
1985(昭和60)年5月 下川木工場が全焼。6月桜ヶ丘遺跡の発掘始まる。
1986(昭和61)年3月 国有林の「象の鼻」の払下げを受ける。道開発局のサンルダム建設計画が具体化。4月珊瑠鉱山が休山。
1987(昭和62)年4月 国鉄分割民営化に伴い北海道旅客鉄道が承継。7月町営スキー場ロッジ建設工事着工し12月に完成。サンルダムの工事が決定。
1988(昭和63)年2月 「しもかわ冬まつり」に代わって「アイスキャンドルフェスティバル」開催。5月「桜まつり」に代わって「万里の長城祭」を開催。



『ゴールデンカムイ』は、野田サトルによる日本の漫画。明治末期の北海道・樺太を舞台にした、金塊をめぐるサバイバルバトル漫画。『週刊ヤングジャンプ』(集英社)にて、2014年38号(2014年8月21日発売)から連載中。累計発行部数はコミックス第18巻の発売時点で1000万部を突破。

あらすじ
日露戦争終結後のとある冬、元陸軍兵の杉元佐一は、幼馴染の梅子の眼病の治療費を得るため北海道で砂金を採っていたところ、アイヌが秘蔵していた金塊のことを知る。直後に杉元は冬眠明けのヒグマに襲われ、窮地をアイヌの少女・アシㇼパに救われる。

作中より5年前、アシㇼパの父・ウイルクを含むアイヌを殺害し金塊を奪った男・のっぺら坊は、網走監獄の獄中から仲間に金塊の在処を伝えるべく、同房の囚人たちの体に金塊の隠し場所を示す入れ墨を彫り、脱獄させた。その「刺青人皮」は獣の皮のように剥がし、全てを集めて暗号を解く必要がある。杉元は治療費分を得ること、残りの金塊をアイヌの手に戻しウイルクの仇を討つことを条件に、アシㇼパと行動を共にすることになる。

同じく金塊を狙う陸軍第七師団歩兵第27聯隊に所属する情報将校・鶴見篤四郎中尉は、日露戦争で活躍しながら報われなかった師団員のため北海道征服を目論んでおり、その軍資金を必要としていた。しかしその理想にはついていけない造反組がおり、その中で生き残った尾形百之助は第七師団を離脱、二階堂浩平は鶴見との取引に応じ原隊復帰する。

脱獄囚の中には戊辰戦争で死んだはずの土方歳三がおり、彼もまた、かつての盟友・永倉新八と合流し、入れ墨の囚人のうち何人かを仲間に加え、尾形を用心棒とし、蝦夷共和国を再興するために金塊を追い求めていた…。@Wikipediaより抜粋

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さぁ~どうでしょう。もちろん『ゴールデンカムイ』はフィクションですが、なんとなく北風磯吉のイメージと重ならないでしょうか。
作者野田の曽祖父が日露戦争に出兵した屯田兵で、かねてより関連する作品を描きたいという希望を抱いていたということですから、構想の中の一部にあったのかもしれませんね。

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