YouTubeに、「怪奇現象 灯篭流し」 ショートバージョンアップしました。

ま~、コメントの多くは「わからん!」とか散々だったので…。(笑)

どう見ても不思議な怪奇現象と言えると想うけどなぁ~。
スポンサーサイト


旧マンロー邸 | 平取町オフィシャルサイト
英国人考古学・人類学者のニール・ゴードン・マンロー博士は、アイヌの生活風俗研究のために二風谷に移住し、研究のかたわら医者としての奉仕活動に生涯を捧げた人です。昭和17年の永眠後、住宅兼病院であったここは記念館として保存され、現在は北海道大学へ寄贈され、北方文化の研究に活用されています。

【所在地】平取町字ニ風谷 (びらとりちょう にぶたに)

17032502.jpg   17032503.jpg

現在では北海道の田舎町でも外国人を見かけることはありますが…。

明治時代に帰化し日本人妻を得て、アイヌ保護に尽力し北海道の土となったスコットランド人の医師がいました。
その人物が「ニール・ゴードン・マンロー」です。

1863年6月16日。北海に面したスコットランドの都市ダンディーで、外科医の父ロバート、母マーガレットの長男として生まれました。エディンバラ大在学中の1882年に「種の起源」で有名なダーウィンが出版から20年の時を経て死去しますが、1866年にモースが大森貝塚を発見したり、シーボルトの次男も日本で発掘調査を行うなどマンローは考古学に興味を持ちます。

1888年に医学士と外科修士の学位をとりエディンバラ大を卒業し、当時大英帝国の植民地であったインドや香港を往復する貨客船の船医として働き始めますが、医師は仕事として、その実は考古学への想いが強かったのかもしれません。

事実、インドで英国の発掘隊たちが訪れた遺跡などを一人で探索していたようですが体調を崩し、1891年(明治24年)27歳で来日し、横浜の山手地区にある外国人専用のゼネラルホスピタルに入院します。

その後の足取りは諸説ありますが、1895年(明治28)に19歳のドイツ人「アデル・マリー・ジョセフィン・レッツ」と結婚します。アデルは横浜の貿易商「レッツ商会」の令嬢で、翌年長男のロバートが生まれています。

1898年には、北海道でキリスト教の伝導に努めるイングランド人宣教師、ジョン・バチェラー(John Batchelor)の案内で北海道旅行をしていますが、その際にアイヌ文化に触れアイヌ文様と縄文土器の模様の共通点に注目し、アイヌは縄文人の子孫なのではないかと仮説を立てます。

1905年には、「横浜三ツ沢貝塚」で日本初の縦穴住居跡、土器、石器、アイヌ人の特徴を有する原人5体の人骨を発掘します。

一方私生活では、発掘に熱中し金遣いの荒いマンローと妻アデルの間では夫婦喧嘩が絶えなかったそうです。そんな時期に秘書兼通訳である高畠トクとの出会いがありました。

高畠トクは久留米柳川藩江戸詰家老の次女で、「アヤメ」という名の女の子が誕生していますが、英国ヘ帰国し試験を受けて博士号を取得したマンローは、なんとフランス人女性を連れて再来日(すぐ送り返したそうですが…)し高畠トクとは協議離婚。

1914年、51歳のマンローは、横浜のスイス貿易商の娘で28歳のアデル・ファヴルブラント(Adele Favre‐ Brandt)と結婚します。最初の妻と同じ資産家の娘で名前も同じアデル。財産目当てっぽいですが…。(笑)

この頃から北海道各地を訪れて、釧路や白老アイヌたちと親交を深め、また研究の合間に無料で彼らの診察を始めます。

1923(大正12)年。心臓に持病のあった82歳の義父ジェームズが8月7日が急逝します。
「関東大震災」の際には怪我人の手当や防疫に奔走したマンローですが、横浜の住居を失い軽井沢での新生活をスタートさせますが経済難に陥ります。義父ジェームズの援助の中で開設していた「軽井沢サナトリウム」も大幅な赤字。そんな中、院長のマンローはサナトリウムの婦長「木村チヨ」と関係を持ちます。

妻のアデルは精神的に不安定になり、マンローはフロイト博士の元で精神治療を受けさせるということで、アデルは日本を離れその後二人が会うことはありませんでした。

1931年(昭和6)木村チヨを連れ北海道の二風谷(ニブタニ)へと移住し、1933年には自宅が完成し診療の一方アイヌ民具などのコレクションや、記録映像も多く残したようです。

私生活ではアデルとの離婚が決まり、木村チヨと結婚したのは1937(昭和12)年6月30日、マンロー74歳。
同年、ロックフェラーの研究助成金は終了し、コタンでの無料診療を続けるためにマンロー夫妻は毎年3ヵ月間だけ軽井沢を訪れ、裕福な患者の治療をし1年分の生活費を稼いでいたそうですが、体調に異変を感じ1941(昭和16)5月に札幌の北大医学部で診察を受け、腎臓と前立腺の癌と診断されます。

マンローは最後までアイヌの人々の世話をすると決意したそうですが、1942(昭和17)年4月11日、二風谷の自宅でマンローは息をひきとりました。享年78歳。大勢のコタンの人々とチヨに見守られての最期だったそうです。

平取での生活は9年でしたが、コタンの人々と同様の葬式をしてくれるよう遺言していたそうです。

17032504.jpg  17032505.jpg

17032506.jpg  17032507.jpg

毎年6月16日マンローの誕生日には「マンロー先生の遺徳を偲ぶ会」が開かれているそうです。

Neil_Gordon_Munro.jpg

2007年の3月28日

   17032302.jpg

毎年この時期になると思うのが…。

「今年の雪解けってどうなんだろう」

今年は早いような感覚がありますが、10年前の庭の写真を振り返ると…。

「ウソっ!」

17032303.jpg   17032304.jpg

アバチャの実生やサクラソウの芽吹き。

17032305.jpg   17032306.jpg

カシポやルイコフも芽吹いていました。

ちなみに今年の初エゾエンゴサク予想は4月10日にしておきます。(笑)
恒例の「春日ベース」にて確認を…。



昼はラーメンを食べようと思って走りつつ、どこにしようかなぁ~…。
たまたま通り過ぎて…。

ん?ここって「よし乃」だったよな~??

ひと回りしてみると、特徴のある「よし乃」の建物だけど、店名を見てみると「是々非々」。
ゴメンナサイ知りませんでした。斜向かいのツルハの駐車場で検索してみると…。

以前からお世話になっているサイトとブログです。
旭川のラーメンについてはこちらが日本の最高峰だと思います。

・旭川ラーメン食べ歩き
・旭川グルメ日記(ラーメン多し)

食べログなんてのは豊岡店の古い情報。
「旭川ラーメン食べ歩き」には、大雪通のスロット店に併設された店→豊岡で開店の記事。
ラーメン好きが集う掲示板には、もちろん末広に移転オープンの書き込み。

「旭川グルメ日記(ラーメン多し)」はすでに食レポが…。(笑)

17032002.jpg

メニューはこんな感じ。

17032003.jpg   17032004.jpg

17032005.jpg   17032006.jpg

何気にひっくり返すと、裏にもたくさん…。

17032007.jpg   17032008.jpg

17032009.jpg   17032010.jpg

後客の家族連れやカップルの注文は、「スーラータンメン」や「復刻ラーメン」に「煮タマゴ」とか「炒飯」や「チャーマヨ手巻き」も人気のようです。

17032011.jpg

この日は絶対に塩気分でした。
期待を上回る塩でした。スープはもちろん麺の甘さと香りをこんなにも感じたのは体調のせいでしょうか。(笑)

写真だけでは伝わらない部分のお話も…。

まずネギですが、よく見ると小口切りの厚みがあるでしょ?
最初は違和感がありましたが、ネギの白身の食感と甘さ。そうか!そうですよね~って納得。(狙っていないのかもしれませんが…)

チャーシュウは二枚写っていますが、実はトロトロ系とカタヤワ系の別物です。
たぶん肩ロースとモモだと思いますが、次回確認しようかと思います。(すでにリピーター要員)

で、なぜリピーター気分になるのかと言いますと、復刻のスープが丸鶏なのです。
数日前に夢の中で秋田県食堂の「かしわラーメン」が出てきたのに食べられない…。似たような物を探しても出会えない…。
そんな鶏ガラスープのラーメンがあるのですから、次回は復刻の塩。

国道40号線の末広東1条11丁目です。

17032012.jpg

麺は「加藤ラーメン」です。



札幌でも数回見かけたこのロゴの看板。
調べようと思いつつ時が流れましたが…。

HPがありました。「一久 大福堂」
その中に…。

会社名 「株式会社 一久」
店名 「もち処一久 大福堂」
創業 大正13年9月
本社所在地 旭川市旭町2条3丁目11番地103
TEL 0166-51-1932

沿革
大正13年(1924年) 旭川市7条師団通(現買物公園)にて一久大福餅本店を開業
昭和2年(1927年) 旭川市旭町2条3丁目(現在の本店)に旭町店を開店
昭和22年(1947年) 7条本店を閉鎖。旭町店と統合し「一久餅菓子本舗」と改号
昭和55年(1980年) 西武旭川店開店
昭和62年(1987年) 株式会社一久餅菓子本舗として法人登録
平成8年(1996年) 株式会社一久と社名変更し、もち処一久大福堂として再改号
平成9年(1997年) 札幌円山店開店
平成10年(1998年) 札幌丸井今井店開店
平成13年(2001年) 三越札幌店開店
平成14年(2002年) 札幌月寒中央店開店
平成15年(2003年) 大丸札幌店開店
平成18年(2006年) 札幌南郷8丁目店開店
平成20年(2008年) 札幌東区役所前店開店
平成21年(2009年) 札幌琴似店開店 丸井今井函館店開店

旭川が本店で、「いっきゅう」なのか「かずひさ」なのか読み問題もスッキリ!(笑)

170320001.jpg

お買い物。

daifuku2.jpg   dango.jpg

大福は草大福がひとつしかなかったので「串だんご」を三本。
※賞味期限は1日。つまり製造日が賞味期限の最終日。(笑)

0p_title.jpg

「黒豆大福」食べたかったのになぁ~。

東京湾の埋立と開発の歴史

※江戸城周辺

東京湾の定義:房総半島の洲崎と三浦半島の剣崎を結ぶ線の北側海域。(国土庁大都市整備局1993 年)

■ 東京湾埋立の歴史
・天正18 年(1590 年)以降、徳川幕府による江戸湾(東京湾)の埋立が行われ、その目的は増大する江戸人口を収容するための居住地確保と膨大な家庭ごみの処理場確保であった。
・慶長年間(1596~1615 年)、居住地の確保に加え「食の確保」のために交易路の建設が行われた。隅田川、中川、江戸川を横断的に結ぶ交易路を作り、その土砂で利用して利根川河口域で本格的な埋立が行われた。
・明和年間(1764~1771 年)、江戸末期には中川河口の埋立が行われ、隅田川河口とほぼ東西に直線状となった。

17031902.gif※徳川家康入国の頃の海岸線

・明治16 年(1883 年)以降、東京府が航路の確保のために湾内や隅田川河口付近の埋立が行われた。
・明治39 年(1906 年)から大正2 年(1913 年)品川台場の浚渫による土砂による埋立により、現在の佃島、月島が誕生した。
・明治44 年(1911 年)から大正9 年(1920 年)にかけて同じく芝浦が誕生した。
・明治43 年(1910 年)から大正12 年(1923 年)に江東区臨海地区の埋立により塩崎、枝川、豊洲、塩見が誕生した。

・大正11 年(1922 年)から昭和10 年(1935 年)にかけて晴海、豊洲、東雲が誕生した。
・大正14 年(1925 年)から昭和6 年(1931 年)に目黒川の浚渫土砂により天王洲が埋立られた。

・昭和6 年(1931 年)から昭和16 年(1941 年)にかけ「東京港修築事業計画」により、人口増加や産業経済の発展にともない、東京市が大型船舶の航行・停泊を可能とするため、竹芝、芝浦、豊洲、海岸、有明、東雲、勝関を埋立造成を計画したが、この多くは戦争により中断を余儀なくされた。
・昭和13 年(1938 年)に豊洲・晴海方面と小名木川駅との間を結ぶ臨海鉄道を敷設するために鉄道院と東京市が契約し、越中島駅の敷地造成に着手したが、途中、中断の後、昭和40 年(1965 年)に竣工した。
・昭和14 年(1939 年)に品川区から大田区の羽田沖の海岸に沿って京浜1 区~9 区までの造成に着手したがも戦争により勝島の一部完成を見て途中で打ち切られた。南砂町(現在の夢の島)に国際的水陸両用の飛行場建設を計画したが、埋立途中で中止となり、戦後GHQによる羽田空港整備により計画は消滅。

その結果、現在のごみ処理場として昭和56 年(1981 年)に竣工した。

17031903.jpg※黒ラインの内側は埋め立て地

■ 夢の島
・1950年代、東京都内でごみが急増し始め、それに対応するため東京都は当地をごみ処分場として決定し、1957年(昭和32年)12月には埋め立てが開始された。それ以降、1967年(昭和42年)までこの地への埋め立ては続いた。
・1965年(昭和40年)7月16日、夢の島で発生したハエの大群が強い南風にのって、江東区南西部を中心とした広い地域に拡散し、大きな被害をもたらした。都と区による懸命な消毒作業が行われるが、抜本的な解決にはならず、警察、消防、自衛隊らの協力を得て、断崖を焼き払う「夢の島焦土作戦」が実行される。

埋め立て終了から11年後の1978年(昭和53年)、東京都立夢の島公園が開園。整備が進み、「ゴミの島」という雰囲気を感じさせることはなくなっていった。
現在ではスポーツ施設が建設されるなど緑の島として生まれ変わっており、京葉線の開通などにより身近な人気スポットとして親しまれている。

ま、こんな感じの歴史になっています。
土砂での埋め立てもあるとは思いますが、東京湾は昔からゴミ捨て場の歴史であるようですね。

海にゴミを捨てるということは、かなり民度の低い行いですが…。
その一方で、江戸前の魚(貝や海苔も)は旨いなんて笑っちゃう神経です。

現代でもまさに築地市場の豊洲移転が大問題で、今日も元副知事の浜渦武生氏が東京都議会の百条委員会に証人としてかなり強気な発言をされていましたが、保身のためなのかこれまた失礼ながら笑っちゃいました。

東京ガスが有害物質を垂れ流していたとして、そもそも当時の法律で許されていたのかって誰も突っ込まないですね。
地下水からベンゼン等の有害物質も検出されました。この地下水は海に流出していないのでしょうか。

個人的には東京湾の魚とか絶対に食いたくないと思いますが…。

※画像はYahoo!検索(画像)から引用


念願の平取和牛を食べたくて…。
「平取和牛専門店 くろべこ」へ行ってきました。

17031802.jpg  17031803.jpg  17031804.jpg

さすが人気店と言いますか、他にお店が少ないからなのか待たされました。
それにしても、幻とは言え平取和牛専門店で年間4頭って…。

17031805.jpg   17031806.jpg

17031807.jpg   17031808.jpg

店内でも牛肉を販売しています。
平取和牛のハンバーグや平取ポークなどの加工品も大量に…。

17031809.jpg  17031810.jpg  17031811.jpg

席に着きますと、こんなメニューが…。

17031812.jpg

なんと「超希少!1頭限定」の文字が、意味不明です。

17031813.jpg  17031814.jpg

メニューはこんな感じで、豊富。

17031815.jpg  17031817.jpg  17031818.jpg

まずはいつものビール!
グラスに付いた泡は不清潔の証。

17031819.jpg  17031820.jpg  17031821.jpg

普通は、丸瀬布「マウレ山荘」 2016 や、焼肉屋の「朝吉」も泡の付着も無くキレイなものです。
さらに、目に付いたのはギフトもやっていて、それでも年間ほんの数頭って…。さらに謎。。。

17031822.jpg   17031823.jpg

まずはスープとサラダ。

17031824.jpg  17031825.jpg

お肉はこんな感じ。

17031826.jpg   17031827.jpg

美味いとか不味いとかの前にこれは無いでしょって感じ。
美味い肉を食わしてやっているっていうのかなぁ~。ただ料理のセンスが無いだけなのかなぁ~。

17031828.jpg

ま、ここの料理人はプロではないな~というような雰囲気が残念ながら伝わってきました。

17031829.jpg   17031830.jpg

それでも、美味しく見えるように撮ったつもりですよ。(笑)

17031831.jpg  17031832.jpg  17031833.jpg

2016年は、ご当地の〇〇牛を何ヵ所かで食べることが出来ました。
過去記事の「士幌町で「しほろ牛」を食べる 」に書きましたが、黒毛和牛だからとか短角牛だから=美味い。では無いと思います。
店や接客は別としても、その○○牛をいかに美味しく提供できるか。
愛情と言っても良いかもしれません。

「しほろ牛」は「ホルスタイン」の雄去勢牛ですが、平取牛より何倍も美味かった。