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石川啄木と旭川

 


時は1908年(明治41年)1月20日

石川啄木は釧路へ向かう旅の途中 旭川に立ち寄っています。
旭川駅前にあった「宮越屋旅館」に一泊しています。

↑大正四年 旭川駅を背にして買物公園の方向を撮った写真(時代は違いますが…)
右の建物が現在西部デパートの位置にあった「宮越屋旅館」です。


・啄木が宮越屋旅館で詠んだ歌

名のみ知りて縁もゆかりもなき土地の
宿屋安けし
我が家のごと

伴なりしかの代議士の
口あける青き寐顔を
かなしと思ひき

今夜こそ思ふ存分泣いてみむと
泊りし宿屋の
茶のぬるさかな

0911272.jpg

大正三年の旭川駅駅舎



雪中行
小樽より釧路まで

(第二信) 旭川にて
一月二十日。曇。

午前十時半岩見沢発二番の旭川行に乗つた。同室の人唯四人、頬髯逞しい軍人が三十二三の黒いコートを着た細君を伴れて乗つて居る。

(中略)

旭川に下車して、停車場前の宮越屋旅店に投じた。帳場の上の時計は、午後三時十五分を示して居た。
日の暮れぬ間にと、町見物に出かける。流石は寒さに名高き旭川だけあつて、雪も深い。
馬鉄の線路は、道路面から二尺も低くなつて居る。

(中略)

旭川は札幌の小さいのだと能(よ)く人は云ふ。
成程街の様子が甚だよく札幌に似て居て、曲つた道は一本もなく、数知れぬ電柱が一直線に立ち並んで、後先の見えぬ様など、見るからに気持がよい。
さる四辻で、一人の巡査が恰(あたか)も立坊の如く立つて居た。其周匝(まはり)を一疋の小犬がグル/\と廻つて頻りに巡査の顔を見て居るのを、何だか面白いと思つた。知らぬ土地へ来て道を聞くには、女、殊に年若い女に訊くに限るといふ事を感じて宿に帰る。

(中略)

明朝は六時半に釧路行に乗る筈だから、自分もそろ/\枕につかねばならぬ。(九時半宮越屋楼上にて)

0911273.jpg

駅から師団(旧陸軍第七師団)まで約2キロの道のりは 人力車の外に馬車鉄道が師団通りを師団司令部 更には練兵場(現在の自衛隊駐屯地)の周囲約4キロを一周するルートでした。
民間の出資で会社を造り明治39年に開業した。
電車化で不要となった旧東京馬車鉄道の中古客車10台を購入してスタートしたそうです。

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COMMENT 3

あず  2009, 12. 05 [Sat] 00:21

 
また このノリか。

「リンクしてくれてありがとお~!」
と 言うノリの人が居るということか?

かなり温度差は感じますが立腹前にスル~~。。。

つうか消した方が??

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-  2009, 12. 01 [Tue] 22:22

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GG  2009, 11. 28 [Sat] 14:11

TB、リンクさせていただきました

啄木愛好者です。
大正時代の様子からロマンを感じました。
私のサイトからリンクさせていただきました。
<a href="http://www3.ocn.ne.jp/~sato-net/meiji41_1.htm" target="_blank">石川啄木 啄木日記</a>
<a href="http://石川啄木.seesaa.net/article/69710166.html" target="_blank">石川啄木 漂泊の詩人</a>

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