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三菱鉱業美唄鉄道線

 
「美しい唄」の字をあてたビバイ。
アイヌ語で「ピパ・オ・イ=pipa-o-i」(カラス貝・多い・もの)が、美唄の地名由来とされています。

この美唄市周辺には多くの炭鉱が存在しました。
新美唄炭鉱・沼貝炭鉱・錦旗炭鉱などの中小炭鉱から、財閥系では常盤台地区に三菱鉱業の三菱美唄炭鉱、南美唄地区には三井鉱山の三井美唄炭鉱が存在しました。

三菱美唄炭鉱は、大正2年(1913)飯田炭鉱として開発され、大正4年(1915)に三菱が買収し三菱美唄炭鉱となります。
その後、石炭運搬のために「三菱鉱業美唄鉄道線」を開通させ、大夕張と並ぶ三菱の主力鉱山となりました。

「三菱鉱業美唄鉄道線」は、現・北海道旅客鉄道(JR北海道)美唄駅から三菱美唄炭鉱の事業所が存在した常盤台駅間を結ぶ三菱鉱業が運営した鉄道路線です。


炭鉱というモノは、大人の事情がプンプンします。
詳しくは割愛しますが…。
ウィキペディア(Wikipedia)より年表のみ引用させていただきます。

1905年(明治38年)11月27日 石狩石炭が専用鉄道敷設免許申請
1906年(明治39年)8月2日 美唄 - 沼貝間5M21C専用鉄道敷設免許
1911年(明治44年)3月3日 沼貝 - 四ノ沢間専用鉄道敷設免許申請(書類不備により返戻)
1912年(大正元年)12月22日 桜井良三らが北海道美唄軽便鉄道敷設免許申請(のちに却下)
1913年(大正2年)9月17日 石狩石炭が美唄軽便鉄道美唄 - 沼貝間の軽便鉄道敷設免許申請
1913年(大正2年)10月14日 石狩石炭の美唄軽便鉄道に軽便鉄道敷設免許(1067mm軌間、蒸気動力)
1914年(大正3年)11月5日 美唄軽便鉄道美唄 - 沼貝(後の美唄炭山)間5M39C運輸営業開始
1915年(大正4年)8月31日 飯田延太郎が石狩石炭より美唄軽便鉄道の施設・権利等一切と鉱区の一部を譲受
1915年(大正4年)10月11日 美唄鉄道が飯田延太郎より鉄道施設・権利等一切を譲り受けて運輸営業開始
1917年(大正6年)5月31日 三菱鉱業に沼貝(のちの美唄炭山) - 北一ノ沢(のちの常盤台)間専用鉄道敷設免許
1918年(大正7年)3月1日 三菱鉱業に北一ノ沢 - 北二ノ沢間専用鉄道敷設免許
1918年(大正7年)9月1日 沼貝駅を美唄炭山駅に改称(届出日)
1919年(大正8年)7月10日 三菱鉱業専用鉄道 美唄炭山 - 北二ノ沢間運輸開始届
1924年(大正13年)11月14日 美唄鉄道による三菱鉱業美唄炭山 - 北二ノ沢間2M22Cの専用鉄道買収および地方鉄道に変更許可
1924年(大正13年)12月6日 北一ノ沢駅を常盤台駅に改称(届出日)
1924年(大正13年)12月15日 美唄炭山 - 常盤台間1M35C運輸営業開始
1937年(昭和12年)3月15日 常盤台 - 北二ノ沢間1.5km起業廃止許可
1950年(昭和25年)4月25日 三菱鉱業が美唄鉄道を吸収し、三菱鉱業美唄鉄道事務所による三菱鉱業美唄鉄道となる
1956年(昭和31年)6月1日 国鉄連絡運輸業務を大夕張鉄道との併合清算に変更し、三菱鉱業美唄鉄道線となる
1972年(昭和47年)6月1日 美唄炭鉱の閉山に伴い、美唄鉄道線美唄 - 常盤台間10.6km廃止

駅一覧

美唄駅 - 東美唄信号所 - 東明駅 - 盤の沢駅 - 我路駅 - 美唄炭山駅 - 常盤台駅 




さて、この路線で唯一残されている駅舎がこの東明駅です。
ここに国鉄4110形蒸気機関車が保存されています。
4110形で唯一、保存公開されている「美唄鉄道2号機」です。

元々は国鉄最急レベルの勾配である、奥羽本線の福島・米沢間の板谷峠越え(1000分の33勾配)のため、明治45年(1912)にドイツのJ.A.マッファイ社から輸入されたのが4100形です。
4100形は4両(製造番号3338 - 3341・4100 - 4103)が、大正元年(1912)にJ.A.マッファイ社ヒルシュアウ工場で製造され、船運により輸入されたそうです。
大正2年(1913)に日本での組み立てが完了し、750馬力は当時の日本の機関車としては最強として驚異的な性能を示したようです。

4110形は4100形を元に、日本で設計改良され国産された機関車で、大正3年(1914)に30両、大正6年(1917)に9両が、川崎造船所により製造されます。
美唄鉄道向けには、大正9年(1920)年に2両「2」「3」、大正15年(1926)年に1両「4」が三菱造船所により製造されました。
「2」は、三菱造船所製蒸気機関車の第1号だそうです。

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美唄鉄道では、国鉄払下げの4122・4137・4142・4144と共に7両体制となりましたが、昭和44年(1969)までに3・4137・4142・4144が廃車。
4137は三菱鉱業茶志内炭礦専用鉄道、4142は北炭真谷地炭鉱専用鉄道へ旅立ちました。
その後4122は昭和46年(1971)に廃車。

「2」と「4」が昭和47年(1972)の美唄鉄道廃止まで頑張っていたということです。

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タンポポの季節、何となく幸せそうに思えた。

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所在地 〒072-0807 美唄市東明5条2丁目

線路跡はサイクリングロードになっています。
プラットフォームも残っています。

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近くには、彫刻家・安田侃(かん)作品が、大自然と相響する野外彫刻公園である「アルテピアッツァ美唄」もあります。

道央自動車道「美唄IC」→道道135号美唄富良野線我路方面へ約5分です。

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