雨竜町立 「川上小学校」



何の下調べも無く、ぷらっと見つけた学校です。
帰宅後ネットで調べると出てきたのは、明治38年5月20日開校・昭和45年3月31日廃校ということです。
明治38年は1905年ですから、5月28日は日露戦争の日本海海戦が起きた頃に開校したのですね。

雨竜町のウェブページはスバラシクて、「 6. 雨竜の歴史」>「 4.教育編」と言うものがありました。

チョイと抜粋させていただきます。(長文ですが…)

【最初の学校】
1894年(明治27年)旧市街に説教場を開設し、寺子屋教育を始めた。
最初の小学校は、1898年(明治31年)に南竜尋常小学校として児童数77名の規模で開校し、移住民の増加に伴い面白内・渭の津・川上に簡易教育所が相次いで設置された。
渭の津と川上は1917年(大正6年)に尋常小学校へ昇格。南竜尋常小学校は1906年(明治39年)6月に高等科が併設され名称も雨竜尋常高等小学校と改称。
ところが、追分市街に雨竜尋常小学校が既に開校していたため、1926年(大正15年)に雨竜尋常小学校が雨竜橋尋常高等小学校へ改称される。

住民にとって学校は、集会所的な役割を担っており、記念式典や各種集会、住民検診などの会場として使用され、地域の総合文化センター的存在であり、学校行事への参加も積極的で特に運動会は地域の最大イベントとして受けとめられていました。
1923年(大正12年)に雨竜実業補習学校が、翌年には追分女子実業補習学校が開校し、雨竜尋常高等小学校の高等科の3つが上級学校として存在していましたが、雨竜には中学校が無かったため、希望者は最寄りの滝川中学校へ進学しなければなりませんでした。

【戦時下から戦後】
1930年(昭和5年)に争議小作人の子弟34名が休校しました。
当時、小作争議に関連して休校することは「同盟休校」と呼ばれ、大量の検挙者を出した1932年(昭和7年)の蜂須賀農場での小作争議の時も行われました。
1926年(大正15年)に16歳から20歳までを対象にした青年訓練所が設置され、軍隊宿泊見学や野外戦闘訓練、防空演習などが行われるようになり、1935年(昭和10年)には、「青年学校令」が定められ、実業補習学校と青年訓練所はすべて青年学校と改称統合され、軍隊の予備学校的機関となり、戦況の悪化に伴い学校の軍隊化が進みました。

太平洋戦争が勃発した1941年(昭和16年)には「国民学校令」がだされ、学校教育のいたる所で戦争の影が見えるようになり、勤労動員として食料の生産や金属の献納などが学校単位で行われるようになりました。

1945年(昭和20年)8月15日に日本は終戦を迎えましたが、戦争によってもたらされた教育の混乱は、招集による教員の不足など雨竜にとっても例外ではありませんでした。
しかし、その一方で確実に民主的教育制度が導入され、1947年(昭和22年)3月に日本国憲法の民主的な理想を実現するため、教育基本法と学校教育法が制定され、義務教育年限も現在の「六・三制教育」として9年間となりました。

当時の学校は大正時代に拡充されたものがほとんどであったため、従来義務教育が6年であったものが9年に変更されたことにより、児童、生徒数の増加に対応できず、雨竜の民主教育はまず施設問題を解決しなければなりませんでした。

こうした流により、新校舎の建設が進められましたが、校舎建設費用の約60%を住民の寄附で賄い、建築に際しても労働奉仕として住民の協力により、1948年(昭和23年)から翌年にかけて各地区の学校が竣工しましたが、川上分校は通学距離が長いなどの理由で川上小学校として存続されることになる。

牧岡地区でも旧満州からの引揚者の入植により、1950年(昭和25年)に牧岡小学校が開校しました。

児童数の激減より廃校となっていた国領小学校も1945年(昭和20年)から再開されており、町内には雨竜小学校、雨竜橋小学校、川上小学校、渭の津小学校、牧岡小学校、国領小学校、雨竜中学校、川上中学校、国領中学校の9校が設置され、1961年(昭和36年)には1682名の児童、生徒数を記録しました。

ま、こんな感じですが、雨竜の土地は北海道でも特別な土地柄であるのです。
明治22年に、公爵三条実美・侯爵蜂須賀茂韶・侯爵菊亭修季が、道庁より雨竜原野1億5千万坪の貸下を受ける。
明治23年に、華族組合雨竜大農場の開拓はじまる。
なんて記事を書いたような記憶もあるのだが、アップしていなかったか…。

そんな歴史はまたの機会にしますが、この川上小中学校跡の風景を。

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可愛い小さな体育館が残っています。

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校庭跡には遊具と地域の会館があり、ゲートボール場にもなっているようで、昔の児童たちも今の子供たちも楽しく過ごせる場所になっているのでしょうか。

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残念ながら体育館と隣接していたであろう校舎は残っていませんが、今でも地域の大切な場所なのでしょう。

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バットレスは、かなり朽ちてきている。。。
ほんの一手間…、この一手間ができるかどうかが地域の皆様の心なのかなと想います。


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