浜益

北海道の歴史は浅く、明治になって開拓がはじまった。

それはそれで正しい歴史認識です。
しかし、北海道の海岸エリアは、意外と歴史は古いものです。

古代の遺跡は全道各地にありますが、浜益にはオホーツク文化を持つモヨロ人の遺跡も見つかっています。
また、アイヌの叙事詩ユーカラは浜益が発祥の地といわれていますが…。

和人の歴史としては、北海道沿岸部に似たようなものがありますが、それは松前藩による「場所」が開かれたからです。

宝永3年(1706)にマシケ場所を設け、その後は商人が請負うようになりますが、これを場所請負制(Wikipedia)と言います。


天明5年(1785) マシケ場所は、マシケ場所(雄冬-留萌)・ハママシケ場所(雄冬-毘砂別)に二分されます。
文化4年(1807) ハママシケ場所は幕府直轄地、その後松前藩に復領。
安政2年(1855) 再び幕府直轄地になり、ヘロクカルシ(現在の浜益本村)に代官所が置かれる。
安政4年(1857) 濃昼山道、雄冬山道の開削がはじまる。
安政6年(1859) 幕府は、荘内藩にハママシケ場所の警備と経営を命じます。
安政7年(1860) 荘内藩が川下に本陣を置く。
文久2年(1862) 川下八幡神社を建立。
元治元年(1864) 大心寺を建立。
慶応4(1868) 幕府の崩壊を期に、全員が全てを放棄し退去。

明治2年(1869) ハママシケは浜益と改称。
明治5年(1872) 茂生村(浜益)に戸長役場がおかれる。
明治35年(1902) 浜益郡茂生村・郡別村が合併、二級町村制、浜益郡浜益村。
明治42年(1907) 浜益郡黄金村と新設合併し、一級町村制施行。
平成17年(2005) 石狩市に編入合併、浜益郡消滅。

ちなみにこのエリアも難解地名の宝庫でもあります。
久々に難解地名クイズ。

送毛 雄冬 群別 濃昼 千代志別 床丹 毘砂別

郵便番号のある地名からのピックアップです。
答えは追記をご覧ください。

送毛 雄冬 群別 濃昼 千代志別 床丹 毘砂別

の正解は…。

オクリゲ オフユ クンベツ(郵便番号ではグンベツ) ゴキビル チヨシベツ コタン ビシャベツ

でした。読めましたか?

その他にもたくさんありますよ。


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