はまます郷土資料館(石狩市指定文化財 / 旧白鳥家番屋) vol.2

浜益の白鳥家は2ヶ統での鰊漁が行われていたそうですが、その労働力は1ヶ統あたり約30人必要と言われます。白鳥家には23人のヤン衆(出稼漁師)がいたそうですが、もちろん、年によって好不良もあったでしょうが、鰊の漁獲高は、300~600石あったということです。

1ヶ統とか、600石って何なの?と思った方は青山家の過去記事があります。
「夏の思い出 2010 ~北海道開拓の村 VOL.4~ :: 2011/02/16(Wed)」

ちなみに過去記事には、「1石は200貫=約760kg 中型ニシンで約3000尾程度」とか…。
青山さんの場合は…。
明治9年(1876)に初めて、1ヶ統の漁場を出願許可。
明治11年(1878)には建網は2ヶ統となります。
明治19年(1886)頃までには祝津村内だけでも土地26ヶ所・建物23棟・漁船64隻・ニシン建網9ヶ統。
明治24年(1891)前後までには16ヶ統の漁場を所有するまでに急速に拡大します。
…とかいろいろ書いています。

つまりこの浜益白鳥家は、ニシン漁の番屋としては小規模な番屋であることを、まずは念頭にご覧ください。

さて内部ですが、玄関を入ると土間が広がっています。
個人的に土間が大好きなので、ワクワクしてしまいます。



玄関の右側には帳場のスペース。
現在でいう事務所のような場所です。

13081702.jpg

引き戸の玄関です。
外と比べれば暖かいでしょうが、断熱性で考えるとかなり寒かったことでしょう。

13081703.jpg

そこで土間には炉が切られています。

13081704.jpg

きっとこの炉は火を絶やすことなく活躍したはずです。
ニシン漁の季節は春ですが、その前の準備があります。

まだ雪のある季節から、網の総点検と補修の作業を行います。
もちろん、番屋周辺から船揚場・干し場等の除雪をし、船や膨大な用具(1500種以上あるそうです…)の手入れも怠りません。
建網を設定する準備と同時に、ニシンを処理するための納屋や、ニシン粕製造の大釜の整備、製品荷造りのための俵・木箱・むしろ・縄などの準備もあります。

それらの作業を想像するだけで、この炉が労働者たちにとって、どれだけ「アリガタカッタ」ことか。

13081705.jpg

土間の右が親方の居住スペースです。
「親方の居間」と書かれていますが、船頭クラスは立ち入り可能なパブリックな場所だったと思います。
奥座敷が見えますが、ここが親方のプライベートなスペースだったかと…。

13081706.jpg   13081707.jpg

窓の向こうに海が見えるなんて…。
こんな別荘が欲しい。。。

13081708.jpg

ここが奥座敷ですね。
大きな網元と比較してはいけないですが、それなりに贅を尽くした材料が使用されていました。

13081709.jpg   13081710.jpg

「vol.3」につづく。


関連記事
スポンサーサイト

COMMENT 0