はまます郷土資料館(石狩市指定文化財 / 旧白鳥家番屋) vol.3

ニシン漁はその歴史の中で、漁法も大きな変化がありました。
また粕場所(主として肥料を製造)か、掛けニシン場所(主に身欠きニシンを製造)かによっても、必要な人数が違ってきます。
この白鳥家は、設備や人数からも粕場所だったのだろうと思います。

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さて、その漁夫たちですが、その役職による作業及び責任の分担は非常に厳格なものがあります。
その役職と人数は…。

・大船頭または船頭(漁場の総括的な指揮)1名
・下船頭(副船頭、若い衆の作業の割り振り等)1名
・起し船船頭(起し船の指揮)1名
・船頭手伝い(枠船において船頭の補助)2名
・磯船乗り(角網の口曳き作業補助)2名

以上が役職のある役人(やくびと)とされます。
その他特別職として…。

・陸廻り(船頭経験者や老年の熟練者で、漁場全体の裏方役)

その他は平漁夫とされますが、賄いを取り仕切る炊事婦や手伝いの人々も入れると、概ね30人ほどで1チームというイメージです。

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そんな人々の居住スペースがこちらです。



炉の周りには船頭衆が座っていたのでしょう。

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ヤン衆たちは土間を通り、畳一枚分が自分に与えられた寝床だったのでしょうか。

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白い飯が食べられるというだけでも幸せだった時代もあります。

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寝床から船頭たちの向こうにある親方の世界。
多くの若い衆が将来の夢を見たのかもしれません。

ニシン漁に使う船は、主に枠船・起こし船・汲船です。
それぞれの用途は別の機会にしたいと思いますが…。
これは「起こし船」の化粧板というものです。
「波に千鳥」や「牡丹に唐草」などの意匠があったようですが、これは「鶴に亀」ですね。

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展示されていた写真の複製ですが、昔はニシンを船から陸揚げするのは人力でした。
汲船が着岸すると二枚の歩み板を渡し、モッコと言う箱を背負い(主に女性や子供の仕事)、四~五貫ずつ運びました。
右の写真は、現・小平町の花田家で開発されたようですが、ウインチによる運搬の風景です。
白鳥家では、船揚場の左右両側に揚荷機二機を備え、沖揚の迅速化を計ったそうです。
大幅に労働力を省力化できたことでしょう。

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「もっこ」です。

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穏やかな夏の海を見ていると、そんな壮絶な歴史があったなんてとも思います。
しかし、春先にたっぷりと稼げるのだから、後はゆったりと時を過ごせたのかも、とも想います。

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