遠軽から上湧別へ

お昼はどこで何を食べよう。。。
そんな気分でドライブ。ついでというか探し物もしながら…。

まずは「六号野上駅逓跡」。これは記憶違いもありましたが、後にスッキリしました。
中央道路や駅逓については、過去記事もあります…。

「中央道路の開削と駅逓 「北見道路編」 :: 2012/12/05(Wed)」 

記念碑が建立されている場所は、 紋別郡遠軽町豊里 国道沿いなので注意していれば気が付くかと。 (グーグルのストリートビューにも写っています)



六号野上駅逓は中央道路開削の翌年である明治25年11月に開設されました。
野上駅逓の用地は600坪(1980㎡)、駅舎は木造平屋で畳建具つきで560円の建築費であったそうです。
宿泊の設備や官馬7頭が配置され、乗駄馬賃は一頭一里(4km)につき9銭(明治36年ごろから12銭になる)。夜中や道の悪い時、冬道などは五割以内の割り増し料金になります。

貨物は主に駄馬送だったものの、後に荷馬車や冬の積雪期には馬そりも利用し、料金は大体一駄10銭程度だったようです。明治42年7月発行の「殖民広報49号」によると、野上駅逓の宿泊料は二食付きで一泊75銭と55銭の二種でした。

駅逓の歴史はどこも同じような流れですが、道路が出来ると活況になり、鉄道ができると使命を果たします。

野上駅逓は中央道路の開通以来、入植者や旅人の増加と共に活気に溢れます。しかし、湧別-紋別-名寄間の新道が開削した明治37年以降は、北見地方から道央への往来は紋別-名寄間経由が主流となったようです。中央道路を通り上川-旭川方面に往来する旅行者は少なくなったようですが、それほど山越えが大変だったのでしょう。

大正2年7月に六号駅逓は下生田原(現安国)に移り、4年4月に下生田原駅逓と改称します。
しかし大正12年9月には、惜しまれつつも駅逓の役目を終え廃止となりました。

この碑は、平成3年に野上駅逓設置100年という節目の年に、関係機関や多くの町民各位の協力により建立されたそうです。

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遠軽では、まずは恒例のお買いもの。
木楽と気楽をかけた「ひねったネーミング」なのかと思っていたけど、もくらく館でした。

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これらの缶詰がとても旨い!らしい。

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お腹が空いた??けど、まったくどこに何があるのか分からないし…。
信号で止まった先にある遠軽教会。遠軽町大通南2丁目 日本キリスト教会北海道中会

沿革
1902年(明治35年) 伝道開始     
1906年(明治39年) 7月10日伝道教会建設
1913年(大正2年) 大通南2丁目に最初の会堂が建築。
1922年(大正11年) 4月2日教会建設。
1931年(昭和6年) 3月2日会堂および牧師館焼失。12月20日現在の会堂が再建。(1981年改修)

以前に来た時にはマップを入手して、古い建物をチラッと周りましたが、遠軽駅すらもアップしていなかったようです。結局、他に興味のあるものは次回として、「かみゆうべつチューリップ公園 」へ。

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ここも以前に来たことがあります。総面積75,000m2という広大な敷地には、5月~6月初旬にかけて120数種・100万本以上のチューリップが咲きそろいますが、季節が違うともちろんチューリップなんて咲いても無く、ガラ~~ンとしていました。

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外部は工事中で、開店しているのか判りませんでしたがやってました。

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やはり価格は全般に高額感あり。
そう言えばこのビール。以前にも飲んだことがありました。

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一口飲んでから、不味かったのを思い出しました。

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温泉水を使った麺がどうなのかよく判りませんが、久々のハズレ。

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