江別市「旧町村農場 vol.2」



町村農場創設者は町村敬貴(まちむら ひろたか)と書きましたが、こんな立派な建物をなぜ建築することができたのか?ですね。

当時としては有り得ないほどの洋風の豪邸です。

ここで、町村敬貴の父である「町村金弥」についてお話ししなくてはいけません。

町村金弥は、安政6年(1859)越前国府中(現 福井県越前市・旧武生市)で府中領主本多家の家臣として、町奉行を務める第9代当主町村織之丞の長男として生まれました。

父の織之丞はとても教育熱心だったようで、金弥は慶応3年(1867)8歳で府中藩校立教館に入学します。明治4年(1871)には12歳で上京させ、奉公の傍ら夜学に通わせます。さらに明治6年(1873)には愛知県英語学校、明治8年(1875)に東京の工部大学校予科に入り、明治10年(1877)工部大学校を受験し合格します。

しかし、西南戦争で軍費が増大されたため、授業料の要らない官費合格者が例年の半分近くに減らされ、金弥は私費生合格となりました。学費の捻出に窮し工部大学校に行けなくなったものの、札幌農学校(現 北海道大学)が官費での2期生を募集します。

工部大学校に合格した者は無試験ということもあり、札幌農学校への入学を希望し、同期入学の内村鑑三・新渡戸稲造・宮部金吾など18名とともに、明治10年(1877)8月27日、開拓使御用船・玄武丸で品川を出帆しました。

札幌農学校での主だった教師はアメリカ人です。授業は英語で行われるため選ばれた学生の中にも落伍者が出たものの、明治14年(1881)7月、札幌農学校を卒業し、同年エドウィン・ダンが明治10年(1877)札幌南部の真駒内(まこまない)に造った「真駒内牧牛場」の管理を任されます。

予算の削減など若い金弥にとっては苦労も絶えなかったでしょうが、牧畜経営上たくさんの知識を得ていきます。ここでの経験を経て、将来は農牧業で身を立てようと決心を固めます。その後はその実績を買われ…。
明治23年(1890)、雨龍華族組合農場事業主任。明治24年(1891)には、自ら雨竜町村農場を経営、明治30年(1897)、十勝開墾合資会社農場長となります。

明治34年(1901)、陸軍省で農事専任技師を務め、軍馬補充部に属し釧路・岩手・福島を担当。明治43年(1910)、東京に転勤、大正5年(1916)に陸軍省を退職。

その後は、東京で大久保町長を勤め、退職後は自適の生活を送り、昭和19年(1944)11月25日、郷里の福井県武生(現在の越前市)で亡くなります。享年86歳でした。

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町村敬貴は、大正6年(1917)石狩町樽川村にあった父金弥の所有地に牧場を開設するものの、昭和3年(1928)現在地に移転します。金弥の経歴からみても、やはり父ありきでの農場開設。

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「旧町村邸」の内部には、金弥についての説明も多くあります。

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説明板を詳しく見たわけでもありませんが、明治30年の「十勝開墾合資会社」の農場長というのは、渋沢栄一らが国から約1万1700ヘクタールの貸し付け許可を受けたものです。勝手な想像ですが既得権益の実行部隊としての認識が少なからずあったのではないでしょうか。

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町村敬貴の略歴を、Wikipediaから引用させていただきます。

1882年(明治15年)- 12月20日 北海道札幌郡豊平町真駒内(現・北海道札幌市南区真駒内)に町村金弥・そと夫妻の長男として生まれる。父・金弥は前年の明治14年に札幌農学校(二期生)を卒業後真駒内牧牛場の主任として経営に当たっていた。
1903年(明治36年)- 札幌農学校(現在の北海道大学)農芸伝習科に入学。
1906年(明治39年)- 札幌農学校を卒業後単身渡米、ウィスコンシン州ウエストアリスのラスト牧場にて牧夫として酪農を実習。
1910年(明治43年)4月 - ウィスコンシン州立農科大学入学。
1912年(明治45年)- 一旦帰国、渡辺志津と結婚、再度渡米。
1913年(大正2年)3月 - ウィスコンシン州立農科大学を卒業。
1916年(大正5年)- 帰国。
1917年(大正6年)- 北海道石狩町樽川にて町村農場を創業。
1928年(昭和3年)- 北海道江別町対雁に移転。、私財をもって数次にわたり米国より基礎種牛を購入し、その改良繁殖につとめた。
1945年(昭和20年)- 貴族院議員に勅撰される。
1947年(昭和22年)- 参議院議員に北海道選挙区から無所属で立候補し当選。緑風会に所属し、1期務める。
1950年(昭和25年)- 吉田内閣農政懇談会に学識経験者委員として参加。
1962年(昭和37年)- 日本酪農の確立、ホルスタイン種の導入普及など農業界への功績により藍綬褒章を賜る。
1963年(昭和38年)- 第二回全国農業祭畜産部門天皇杯受賞。
1964年(昭和39年)- 江別市名誉市民。
1967年(昭和42年)- 妻・志津死去。北海道文化賞受賞。
1969年(昭和44年)- 86歳で死去。


金弥は2度結婚しており、先妻・後妻ともに山本怡仙の娘で、5男5女があり長男の敬貴家系が牧場経営を、五男の金五が政治家家系としての町村家を引き継いでいくことになります。

町村農場を考える時に、石狩地区が明治20年代の開拓者の入植に始まり,30年代に大規模に土地が払い下げられ,1897(明治30)年 町村金弥はこの地に120ヘクタールの土地を購入して「町村農場」を開く。その20年後の 1917(大正6)年,金弥の長男である町村敬貴が同地に「牧場」を開き、ホルスタイン種の乳牛を導入して 日本の酪農の近代化に貢献したことになります。

その後農場は、昭和3年(1928)に石狩から江別町対雁(現江別市・旧町村農場)に移転,さらに周辺の宅地化により、平成4年(1992)に江別市の篠津に移転します。

敬貴・志津夫妻の4人の息子のなかに牧場を継ぐ者がいなかったので、三女・寿美子の婿養子・末吉を迎え、末吉・寿美子夫妻の三男である均が末吉の跡を継ぎ、まちむら農場の代表となります。

そんな町村家の建物が一般公開されていて、その歴史に少しでも触れることができる。冬季は休業としても維持管理にはご苦労が多いことと思います。江別と言う土地柄が穏やかに感じるのは地域の歴史を大切にしているからなのでしょうか。

大好きな冷蔵庫がここにもありました。

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木陰のベンチに座ると、夏の暑さも一時忘れそうです。
市民の憩いの場になっているのですね。

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※敬称は略させていただきました。
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