遠軽と遠軽駅 と 「どらまき」

遠軽町(えんがるちょう)の歴史は、明治29年(1896)にプロテスタントの日本基督教会(現:日本キリスト教会)が東北学院(仙台市)の創始者である押川方義氏や、東北学院神学部出身の信太寿之氏などを中心に創設された「北海道同志教育会」のキリスト教徒たちによって始まります。

明治30年(1897)には学田地と名付けた現在の遠軽市街地に最初の集団入植を行いました。最終的には同志教育会の私立大学を含めた理想郷の設立という大きな夢は、大水害の影響などもあり叶いませんでした。しかし、明治35年(1902)には遠軽教会を創設し、現在も日本キリスト教会遠軽教会(1931年建設、大通南二丁目)として伝道活動を行っています。

ちなみに北海道の開拓としてキリスト教の団体入植が開基となっているのは、遠軽の他に浦河町(赤心社)・今金町(インマヌエル団体)・北見市(北光社)があります。なかなかまとめられないでいる坂本龍馬関連の物語は北見とも深く関わりがあります。

遠軽町の略歴

明治
2年 (1869年) 北見国紋別郡と命名 和歌山藩の支配地に定められる
3年 (1870年) 和歌山藩、紋別郡の支配返上し開拓使の直轄になる
5年 (1872年) 根室支庁管轄になる ユウベツ村と名付けられ紋別戸長管轄下に戸籍調査着手
8年 (1875年) 湧別村となる 根室支庁網走分署に改称
15年 (1882年) 半沢真吉移住、農耕に従事 紋別郡は根室県に属す
24年 (1891年) 中央道路上川・網走間開通
25年 (1892年) 野上駅逓開設(大正11年廃止) 基線道路(湧別街道)開通
26年 (1893年) 滝の下(丸瀬布)駅逓開設(昭和4年廃止) 滝の上(白滝)駅逓開設(昭和8年廃止)
27年 (1894年) 湧別浜市街地に初めて商店誕生 渡部精司湧別西一線で薄荷栽培
28年 (1895年) 押川方義北海道同志教育会結成運動に着手  野上通信休泊所設置(大正8年頃廃止)
29年 (1896年) 北海道同志教育会結成 湧別原野第四小作地学田農場予定地として認可
30年 (1897年) 紋別9か村戸長役場から分離し湧別戸長役場設置 学田農場に新潟・山形から30戸集団入植 湧別屯田四・五中隊に200戸入植
31年 (1898年) 湧別小学校創立 中沢牧場・角谷農場開設 学田農場に山形から70戸余入植 湧別屯田四・五中隊に199戸入植 湧別・紋別間道路開通
32年 (1899年) 学田農場に山形から12~13戸入植 本町で初めて薄荷栽培 北見青年会設立
33年 (1900年) 学田農場に山形から3~4戸入植 湧別村農会設立  北湧尋常高等小学校学田分校開校
34年 (1901年) 網走警察署湧別分署設置 三等郵便局設立、遠軽の名称初めて使用
37年 (1904年) 名寄・湧別間道路全通
39年 (1906年) 湧別村役場二級町村制施行 最初の湧別村議会議員選挙
43年 (1910年) 上湧別村・下湧別村に分村 学田部落を学田と遠軽に二分し市街地形成

大正
3年 (1914年) 軽便鉄道湧別線 留辺蘂~下生田原(安国)間開通
4年 (1915年) 軽便鉄道湧別線 下生田原~社名淵(開盛)間開通し、遠軽駅開業
5年 (1916年) 軽便鉄道湧別線 社名淵~下湧別(湧別)間開通し、全線開通
6年 (1917年) 奥社名淵(白竜)~鴻之舞道路開削 馬車鉄道(西町網羽~遠軽駅)敷設
8年 (1919年) 上湧別村から分村、二級町村制施行 遠軽村役場庁舎新築 
9年 (1920年) 帝国製麻株式会社遠軽製織工場設置 
13年 (1924年) 石北線速成運動陳情団が上京(カボチャ団体) 北海道薄荷製造株式会社設立、本道初の薄荷油精製実施
14年 (1925年) 生田原分村 社名淵駅逓所設置 
15年 (1926年) 網走土木事務所遠軽道路保護区員駐在所設置 糸屋銀行休業

昭和
2年 (1927年) 石北線 遠軽~丸瀬布間開通 瀬戸瀬駅開業 渚滑機関庫遠軽分庫設置
4年 (1929年) 石北線 丸瀬布~白滝間開通
7年 (1932年) 石北線全線開通 名寄本線遠軽駅まで延長
9年 (1934年) 町制施行、一級町村制施工
21年 (1946年) 丸瀬布、白滝分村 
22年 (1947年) 遠軽町薄荷耕作組合設置 
23年 (1948年) 遠軽農業協同組合設立 
43年 (1968年) 瀬戸瀬薄荷生産組合設立
44年 (1969年) 社名淵薄荷生産組合設立

平成
元年 (1989年) JR名寄線廃止代替バス運行
17年 (2005年) 10月1日、旧遠軽町と生田原町、丸瀬布町、白滝村の3町1村が合併し新遠軽町誕生



遠軽駅は「石北本線」の駅で、かつては「名寄本線」も接続し古くから交通の要所でしたが、最大の特徴は全国的にも数少ない「スイッチバック」の駅です。
なぜ勾配が急なわけでもないのにスイッチバックなのかは鉄道の歴史を振り返らなくてはいけません。現在では旭川から石北本線で旭川-上川-遠軽ですが、昔は旭川-名寄-紋別-中湧別-遠軽のルートしかありませんでした。昭和7年(1832)に石北本線が全線開通すると、中湧別方面からは逆向きに遠軽駅に到着しますので、名寄本線が廃止されると行き止まりの駅になってしまったからです。

駅の略歴

1915年(大正4年)11月1日 - 国有鉄道湧別軽便線下生田原駅(現在の安国駅)- 社名淵駅(のちの開盛駅)間開業にともない開設。
1916年(大正5年)11月7日 - 軌間762mmから1067mmへ構内改軌。
1927年(昭和2年)10月10日 - 石北東線当駅 - 丸瀬布駅間開業。
1931年(昭和6年)4月頃 - 湧別川流送木材の西町陸揚網場より当駅裏土場まで馬車鉄道の「遠軽共同軌道」敷設。
1932年(昭和7年)10月1日 - 遠軽機関庫設置。
1934年(昭和9年) - 駅舎改築。
1987年(昭和62年) 4月1日 - 国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道に継承。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線廃止。

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↑右に写っている建物が「駅そば」のお店。
調べてみると、「北一そば店」というらしいのですが、価格はそば・うどんの「かけ」300円。
その他、天麩羅390円・山菜400円。特筆すべきは、あいがも450円。さらにスペシャル600円(全部のせ)…。
個人的に気になったのが「割りばし」。可愛らしいのだがいつもなのか確認を。。。

↓たまたま「特急 オホーツク」の発車だったので動画も撮りました。手持ちだったのでお見せできるようなものではありませんが、左にパーンしていくと北海道自然百選にも選ばれた、地上約78メートルの瞰望岩(がんぼういわ)とのツーショットになります。

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さて、遠軽のスイーツといえば「どらまき焼」。(なのかな?)
音からすると「どら焼き」のイメージですが、「おやき=太鼓焼き=円盤焼き」に近い皮らしい。
店先に「あん クリーム ウグイスあん」の文字。

昔は北見などにもあったそうだが、いまは遠軽のこの店だけという絶滅危惧店。

「どらまき焼」 遠軽町大通南1丁目

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去年も行けなかったのですが、「社会福祉法人 北海道家庭学校」があります。
興味の発端は歴史ある建物なのですが、大正3年に財団法人東京家庭学校の校長兼理事長であった留岡幸助氏が、内務省から北海道遠軽町の国有地(名淵原野1,000ha)の払い下げを受け、自ら信念とする教育を実施するために農場を創設したのがはじまりです。

留岡幸助は岡山県の出身で、同志社英学校(現在の同志社大学)神学科で学んで牧師となり、北海道空知監獄の教誨師(矯正施設において収容者・受刑者の徳性の育成や精神的救済を行う者)になり、そこで感化教育の必要性を強く感じ、監獄学研究のため渡米し、その成果を具現化するべく、明治32(1899)年東京巣鴨に家庭学校を創設し、大正3年(1914)50歳にして北海道家庭学校を設立しました。

「流汗悟道」を信条とし、自然の中で農作業等の労働体験を通じて少年の心を養いたいとの理念は、現在も受け継がれています。

学校の広大な敷地(東京ドームの93倍・札幌ドームの81倍)の中には、大正から昭和初期の近代建築様式を今に伝える建物が現存しているそうですが、校門から礼拝堂まで約1000メートル。博物館もあるということなのですが、どこまで見学可能なのでしょうか。

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丸瀬布にあったものと同じデザインかな?

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