留萌のD61

過去に「D61」を書いたつもりでいたものの、過去記事の 「留萌本線 :: 2012/11/17(Sat)」 に一枚の写真があるのみ…。たぶん後日書こうと思っていつものパターンだったのかもしれませんが、留萌本線のことなどはかなり詳しく書いてあります。

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「D61 3」は、留萌市見晴町2丁目 「見晴公園」 内に居ます。
すぐ近くにスポーツセンターや文化センターもありますが、市役所も観光協会も「蒸気機関車の静態保存」については、それほど気にしていないような存在なのかもしれません。ま、留萌に限らず多くの市町村はそんな程度の位置付けでしょう。

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しかし、この「国鉄D61形蒸気機関車」はとても貴重な存在であることを認識してほしいと思います。
「D51(デゴイチ)」は認知度が高いと思いますが、それもそのはずで日本の機関車1形式の両数としては最大で、総数1,115両も生産されました。ちなみにこの記録は現在も更新されていません。

では「D61」はというと、たったの6両。なぜ?

大正時代に製造された9600(キューロク)という形があります。
この9600は優れもので最後まで現役として活躍したのですが、さすがに老朽化のため代替車を作ろうということになりました。1951年(昭和26年)から1956年(昭和31年)にかけてD50形78両をD60形に改造し、続いてD51からの改造ということで…。

D51640 → D611 (1959年 浜松工場)
D51555 → D612 (1960年 郡山工場)
D51181 → D613 (1960年 郡山工場)
D51224 → D614 (1961年 郡山工場)
D51205 → D615 (1961年 郡山工場)
D51519 → D616 (1961年 郡山工場)

車軸配置を従来の2-8-2(1D1 先輪1軸+動輪4軸+従輪1軸)のミカド形から、従輪を2軸とした2-8-4(1D2 先輪1軸+動輪4軸+従輪2軸)のバークシャー形へ改造し、軸重をD51形の14.63tから13.76tに軽減。

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どんな意味があるのかというと、線路等級でいう丙線区…。
もともとは鉄道省(戦後は運輸省)の国有鉄道建設規程で甲線、乙線、丙線に分類していたものですが、道床の厚さや枕木の構造・本数などにより等級が分けられていました。
昭和初期の1929年に定められたもので、1965年からは1級線、2級線、3級線、4級線となり、それぞれ軸重が18t、17t、15t、14tに、最高速度が110km/h、100km/h、95km/h、85km/h(一般列車の基本値)に制限されました。

つまり、それほどよろしくない鉄道用に車両の重さを軽減するために、9600に代わるべく改造され誕生したのが「D61」です。

特筆すべきは、国鉄の蒸気機関車としては最後の新形式であり、そのすべてが「留萠機関区」に配置され主に羽幌線で石炭・木材などの輸送に使用されますが、そのたった6両のうちの1両が静態保存と言えども現存していることは有り得ないほど貴重なことなのです。

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しかし、当時の運行としては軸重を軽減したことにより、当然D51形に比べ動輪の空転が発生しやすくなります。特に冬になると顕著となりやがて敬遠されることになります。時代背景としてディーゼル機関車や電気機関車が台頭し、もはや蒸気機関車の時代ではなくなりつつありました。

車両の配置転換が進み、留萠においてもD51形ですら余剰が発生するようになり、扱いに神経を使う「D61」を使用することは少なくなり、晩年は深川機関区脇の側線でD51のサブとして出番を待つようになったとか…。

やがて、順次検査切れ順に廃止されるのですが、蒸気機関車が全廃となる1975年(昭和50年)の6月まで4号機は現役として活躍していたそうです。

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今ではその余生を…。
かつて活躍した留萌の地で静かに過ごしています…。

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留萌と言えば黄金岬の風景も。

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潮が引いたプールでいつの日か「カニ釣り」を…。

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雑草の如く? ハマヒルガオも咲いていました。

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最後に…。
昔の姿が無いかなと思い、昭和49年11月10日発行の「さようなら蒸気機関車」。

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その中に「機関区別 現存SL全名鑑」がありました。

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最後の「D61-4」や、なんとD51の初期ナメクジ型「D51-4」も近くに居たんですね。
もし今だったら毎週のように通ったことでしょう。

ちょっと話は脱線しますけど…。(JR北海道の脱線事故とはカケテません。ぷ)
ネット上に、羽幌線の1969年の写真を「カラー」でアップされている方が居ました。この方は北海道どころか全国、さらに海外の鉄道も撮っていらっしゃる。

今では白黒写真が分からない…と言いますか、なぜ色が無いの?人口も増えているとは思います。
1969年のカラー写真って、それはそれは高価なものだったかと…。

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↑当時の写真ですけど、どちらも機関車のヘッドライト上部に「ツララ切り」がついています。
冬期にトンネルの出入り口のツララを直撃しないためのもののようですが、深川・留萌に所属している機関車には装備されていた、この路線独特のものだったようです。

↓これは別の本から…。
「D61-3とD51」の重連で、羽幌線大椴(おおとど)-小平(おびら)間。
羽幌炭鉱から石炭を留萌へ運ぶ列車でしょう。

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これは下りの貨物でしょうか、留萌線の深川-北一已 間の「D61-1」です。

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