
玉置浩二は「カリント工場の煙突の上に」ですが、この煙突はレンガ工場。
旭川市東旭川桜岡にあります。
レンガと言えば江別ですが、旭川でも多くのレンガが製造されていて、現在でも西神楽地区には工場があります。
明治31年5月創業の「上川倉庫㈱」群や、同時期に建設される「第七師団」の建物もそうですが、鉄道関連の建物はもちろん橋梁やトンネルなどにも多くのレンガが使用されました。
レンガの製造には、良質の粘土+砂+水+窯+燃料+輸送が必要不可欠となりますが、旭川の歴史としては明治25年頃「台場ケ原(現 旭川市台場)」に、辰口久治郎(石川県人)が無願開拓しつつ煉瓦工場を設置したのがはじまりとされています。※@旭川市史


辰口氏の煉瓦工場は、後に「鈴木煉瓦工場分工場」となりますが、その後も明治32年3月には現1条通20丁目に「舘脇煉瓦工場」。翌33年9月には現3条通20丁目に「石田煉瓦工場」が設置されました。


この煙突は、昭和16年に小樽の吉村米秋が創業した「吉村煉瓦工場」の遺構です。
最盛期には1ヶ月300万個のレンガを製造をしたものの、戦後需要が減ったため工場を廃止とされています。
煙突のテッペンに何やら…、現役当時からあったものなのか解りませんが避雷針だと思います。

それにしても旭川のレンガ建築物は消え去る一方です。民間のレンガ倉庫も然り、東5条小学校もレンガでしたね。第七師団関連の建物もほとんど無くなりました。市が悪いという意見はもっともですが、旭川の住民意識として歴史的なものに関心が薄い。ま、薄いというより関心が無いに等しい程度なのかもしれません。残念なことです。。。
道路わきの白樺とキラキラの雪原と…。

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