夕張メロン ~ 概歴的なお話 vol.2 ~

■ 夕張メロン誕生

昔、メロンと言えば「プリンスメロン」でした。(ジェネレーションギャップもありましょうが…)
もちろん果物屋さんには、奥の最上段にドーンと存在感のある高級メロンが一個だけ飾ってあった記憶もありますが、まず一般庶民が入院した程度で口にできるものではありませんでした。

網目のあるメロン=マスクメロン=高級

こんなイメージが染みついていたのですが、メロンの表面を覆う網目がマスクなのではなく、マスクメロンのマスクは、麝香(Musk)のような強い芳香を持つと言う意味の、マスクメロン(Musk Melon)の総称です。

主な種類としては…

・カンタルペンシス群 (Cantalupensis group)
ネットの網目粗く、楕円形型の形状。カンタロープ・スペインメロンなど。

・レティクラトゥス群 (Reticulatus Group)
ネットの網目細かく、球形型の形状。アンデスメロン・アールスフェボリットなど。

アールスフェボリット(Earl's Favourite)は、網メロンの代表品種で、特徴としてはほぼ球形で果皮表面にはコルク質の網目ができ、果肉は黄緑色で果汁が多く非常に甘い。しかし、栽培は非常に難しいとされています。
日本には大正14年(1925)に導入され、静岡県温室農業協同組合クラウンメロン支所の前身である磐田温室農協丸静支所などで栽培方法の確立が行われ、日本全国へと広まっていったそうです。

夕張でも大正末期から数種のメロン栽培が試みられていたようですが、どれもイマイチで残ったのが「スパイシー・カンタロープ」という名のメロンだそうです。
メロンと言っても網模様のない品種で、形はラグビーボールのように丸くなく、カボチャみたいなヒダがある。果肉は赤く香りは良いものの甘みがないので砂糖をかけて食べていたそうです。

赤肉メロンの代表格である夕張メロンは、この「スパイシーカンタロープ」を父とし「アールスフェボリット」を母として作出されたF1の一代雑種になります。(夕張メロンの種を蒔いても夕張メロンはできません 笑)

当時の夕張は朝鮮戦争需要のため石炭景気に沸いていましたが、一方農家は苦労の連続でした。
北海道と言えばどこまでも広がる畑や牧場をイメージされる方も多いでしょうが、それは恵まれた土地の話しであって、夕張は石炭は出るものの山間地でしかも土壌も悪く農業には適さない土地柄でした。

昭和30年代に入ると夕張でも農業の機械化が始まり、耕作面積の拡大化に伴い農業経営の転換期を迎えました。
そこで組合員たちは特産品を作ろうと、長芋・アスパラ・イチゴ・メロン…、それぞれの部会を結成し取り組みました。
当初からメロンだけに力を入れたというのではなく、メロンが一番成功したという感じだそうです。

さて、そのメロンですが日本の最高峰は、静岡県を中心につくられていた「アールス」でしたが、寒い北海道ではなかなかうまく育てられません。そこで地元で栽培していた「スパイシーカンタロープ」と交配させました。
昭和34年にメロンの交配試験が始まり、昭和35年には交配が行われたといいます。

数々の試行錯誤がありつつも、それでも何とか努力が実を結び、文字通り10個ほど新種のメロンが出来たそうです。
品種名は「夕張キングメロン」。商標名「夕張メロン」の誕生です。

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