夕張駅

石勝線(せきしょうせん)は、札幌駅-帯広駅-釧路駅間を結ぶショートカット路線として新設されたイメージしかありませんでした。
石勝線は、JR北海道の鉄道路線で、千歳市の南千歳駅から夕張市を経て上川郡新得町の新得駅を結ぶ路線ですが、本線の他にもうひとつ、夕張市内にある新夕張駅-夕張駅間の支線がありました。線路や駅舎は見ていましたが廃線だと思い込んでいました。

14082919.jpg

観光案内所だと思っていた建物ですが、ちゃんと「JR ゆうばり駅」って書いてますね。(笑)
ちなみに、夕張駅の時刻表(出発)を調べてみると…

千歳行 7:08
追分行 8:30
新夕張行 9:38
千歳行 12:30
追分行 13:27
千歳行 16:27
追分行 18:15
追分行 19:24
追分行 22:00

そこそこの本数が運行しているようです。もちろん赤字ローカル線ではあります。

さて、このエリアの歴史は炭鉱と切っても切れない関係がありますが、炭鉱と鉄道もそうです。炭鉱のある山奥から、どうやって石炭を運ぶかが大きな問題でした。
たとえば、三笠の幌内炭鉱は埋蔵量が多く有望であると判明され、1879年(明治12年)に官営の炭鉱として開山しますが、ケプロンは幌内-室蘭間に鉄道を…、ライマンは幌内-幌向太(現在の幌向付近)に鉄道を敷設し石狩川を利用して小樽港へ運び本船に積み替える計画を…。

開拓使は1878年(明治11年)3月、経費が少ないライマン案を選択し、翌年鉄道技師ジョセフ・ユーリー・クロフォードらが幌内-幌向太間の測量を開始しますが、この計画は湿地が多く、さらに積替えの労力や冬季の石狩川の凍結などにより計画変更が必要であり、幌内太から小樽に鉄道を延長し、小樽港から石炭を積み出すよう提案し開拓使長官黒田清隆が承認します。これが1882年(明治15年)に全線開通し日本で三番目の鉄道となる、官営幌内鉄道(後の幌内線)になります。

夕張地区も1874年(明治7年)にライマンが夕張川上流の炭鉱地質を調査しています。
夕張市のホームページには…。

・明治21年(1888)           
 北海道庁技師坂市太郎氏(ライマン探検隊の随員)、シホロカベツ川上流にて大炭層の露頭を発見

・明治22年(1889)            
 4月:坂市太郎夕張を実地調査
 5月:夕張採炭所創設
 11月:北海道炭鉱鉄道会社創立(北炭の前身)

・明治23年(1890)
 4月:夕張炭山開坑着手
 8月:登川村設村、村界告示され岩見沢村戸長役場の管轄となる

・明治25年(1892)
 3月:夕張炭山採炭開始
 11月:追分、夕張間鉄道開通(夕張と紅葉山駅が開設)


夕張は最盛期には大小24の鉱山があり、最多人口は1960年の国勢調査によると116,908人。
鉄道と深いかかわりのある、大きな炭鉱は「北炭夕張炭鉱」「三菱大夕張炭鉱」「三菱南大夕張炭鉱」がありました。

それぞれを縦割りで考えるとなかなか全体像が見えてきません。
位置的なモノも無いと何が何やらですので、 「Google マップ」を見ながらイメージを膨らませましょう。

今回は夕張駅のお話なので、まず夕張の位置を確認しましょう。地図の中央左から札幌・南幌・栗山・夕張があると思いますが、意外と札幌に近い印象ですね。(旭川からは遠いですけど…)

中央を上下に走る鉄道が「室蘭本線」です。

1892年(明治25年)8月1日:北海道炭礦鉄道が、室蘭駅(現在の東室蘭駅)-岩見沢駅間が開業。室蘭駅(現在の東室蘭駅)、幌別駅、登別駅、白老駅、苫小牧駅、追分駅、由仁駅を新設。
1893年(明治26年)7月1日:栗山駅を新設。
1906年(明治39年)10月1日:北海道炭礦鉄道を買収、室蘭駅-岩見沢駅間が官設線となる。
1909年(明治42年)10月12日:国有鉄道線路名称制定に伴い、室蘭駅-岩見沢駅間が室蘭本線となる。

夕張から「石勝線」が室蘭本線の追分駅までつながっています。

1892年(明治25年)11月1日:北海道炭礦鉄道が、追分駅-夕張駅間が開業し、紅葉山駅・夕張駅が開業。
1897年(明治30年)2月16日:滝ノ上・清水沢駅が開業。
1901年(明治34年)12月1日:鹿ノ谷駅が開業。
1906年(明治39年)10月1日:北海道炭砿鉄道を買収、追分駅-夕張駅間が官設線となる。
1909年(明治42年)10月12日:国有鉄道線路名称制定に伴い、追分駅-夕張駅間・紅葉山駅-楓駅間が夕張線となる。

夕張駅は現在は石勝線の駅ですが、最初は「北海道炭礦鉄道」の駅でした。
ちなみに似たような名が出てくるので整理しておきます。

1889年(明治22年)11月18日:堀基が中心となって北海道炭礦鉄道会社を設立。
1896年(明治29年)商法の施行に伴い北海道炭礦鉄道株式会社に社名変更。
1906年(明治39年)10月1日:鉄道国有法に伴い、北海道の鉄道約200キロメートルを国に売却し、北海道炭礦汽船株式会社に社名変更。

さて、現在の地図にないのが野幌から夕張の間にあった「北海道炭礦汽船夕張鉄道線」です。
「北海道炭礦汽船」は、1924年(大正13年)1月24日「夕張鉄道株式会社」を発足させます。この子会社的な?会社が運営したのがこの路線です。「夕張鉄道株式会社」は、現在も夕鉄バスとして路線バスや貸切バスを運行している会社です。

1926年(大正15年)10月14日:栗山-新夕張(後の夕張本町)間開業。
1930年(昭和5年)11月3日:野幌-新夕張(後の夕張本町)間が全線開通。

夕張鉄道線の駅は、野幌駅-北海鋼機前駅-上江別駅-下の月駅-晩翠駅-南幌駅-双葉駅-北長沼駅-中央農試前駅-栗山駅-角田駅-継立駅-新二岐駅-錦沢駅-平和駅-礦業所前駅-夕製前駅-若菜駅-営林署前駅-鹿ノ谷駅-末広駅-夕張本町駅がありました。また、その他に専用鉄道が何カ所かあったようですが、ここでは割愛します。

その後、昭和40年代から、自動車交通の発達と炭鉱の衰退により、1971(昭和46)年11月15日に鹿ノ谷-夕張本町が廃止。栗山-鹿ノ谷の旅客営業廃止。1974(昭和49)年には、野幌-栗山の旅客営業も休止し、1975(昭和50)年に北炭平和炭鉱の閉山に伴い全線廃止となりました。  

現在の夕張駅は三代目だそうで、初代は現在の石炭の歴史村付近にあったそうです。

1024px-Yubarieki1918.jpg

2代目は、1985年(昭和60年)10月13日に移転し、市役所隣の市民会館の1階が駅だったそうです。
現在の3代目は、1990年(平成2年)12月26日に、ホテルマウントレースイ前に移転。2009年(平成21年)7月17日 には駅舎を全面改修したそうです。ちなみに駅のすぐ右側に「バリー屋台」があります。

次回機会があったら鉄道関連も気にしてみようと思います。

関連記事
スポンサーサイト

COMMENT 2

あず  2014, 09. 03 [Wed] 10:17

行く前にガッチリと調べ上げるのも良いけど、「偶然の出会い」がこれまた楽しい…。

帰宅後に色々調べることも、これまた楽しい。。。

Edit | Reply | 

ひめ  2014, 08. 31 [Sun] 23:02

ホントだ!!


   帰宅後、早1ヶ月?!大変、、遅くなりましたが‥…
   今夏も今まで以上に素晴らしいナビゲーションをして下さり‥…
   ^o^/ありがとうございました!!です、あずさんe-466

   想い描けない程の旅をさせて頂けました。本当にありがとぉ~

   「 JR ゆうばり駅 」
   数年前も列車と並走してたり‥…
   駅が在ると知ってた私でも気付けなかった!!

   それに素晴らしく分かり易い夕張メロンのアレコレ‥…e-460

   この先の記事も楽しみに訪ねさせて下さい。
 

Edit | Reply |