栗山公園の蒸気機関車 ~夕張鉄道線 21~

栗山町のホームページにある「栗山公園」については…。

夏は涼味を誘い秋は紅葉を飾る、風光明媚な天然の樹木が茂る御大師山(おだいしやま)。その裾野には24haもの面積を有する栗山公園が広がり、SL広場や無料で入場できる「なかよし動物園」、キャンプ場、バーベキューコーナー、ハイキングコース、野球場、テニスコートなどの施設が整備されています。国道234号線沿いに位置し、近くには飲食店やコンビニエンスストアもあり、家族で過ごせる憩いの場として親しまれています。5月上旬には公園内の桜並木約300本が一斉に開花し、多くの観光客で賑わいます。

「SL広場」の文字があるだけで、蒸気機関車や夕張鉄道については何も説明がありません。確か留萌のD61もまったく出てこなかったかと…。地元行政の認識が如実に伝わります。

現在は室蘭本線の栗山駅がある栗山町に、なぜ夕張鉄道の蒸気機関車が保存されているのか謎…。
と思っていたのですが、今回の「小さな旅」と言いますか、「ワンデイトリップ」の方が心地良いかな?
ま、一日の中で様々な出会いやら、体験やら新たな疑問なんかがあるわけです。

今回の記事のように、蒸気機関車が静態保存されているからと行ってみた。後に調べると夕張から栗山を経由して野幌まで夕張鉄道線が過去に存在していたことを知る。なるほど、そうだったんだぁ~と納得…なんてことも多々あります。

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過去記事に、 「夕張駅 :: 2014/08/31(Sun) 」 がありますが、栗山駅目線からの夕張鉄道線と栗山駅の沿革を…。

1893年(明治26年)7月1日:北海道炭礦鉄道の駅として開業。
1906年(明治39年)10月1日:北海道炭礦鉄道の鉄道路線国有化により国有鉄道に移管。
1926年(大正15年)10月14日:夕張鉄道が、栗山駅-新夕張駅(後の夕張本町)を開業し接続駅となる。
1930年(昭和5年)11月3日:夕張鉄道が、野幌-栗山駅を開業し、夕張鉄道線と室蘭本線の交叉駅となる。
1952年(昭和27年)4月:夕張鉄道が旅客用気動車導入。
1974年(昭和49年)4月1日:夕張鉄道線、野幌-栗山駅で旅客営業休止。北海道炭礦汽船に譲渡。
1975年(昭和50年)4月1日:夕張鉄道線、野幌-鹿ノ谷が正式に廃止。

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「夕張鉄道 21」は栗山町の栗山公園内に、屋根付きの場所で保存されていました。パッと見にはキレイですが、近寄ってみると塗装はイマイチで、外部内部とも錆や腐食がそれなりにありました。

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キャブにも入れましたが、内部はこんな感じ。

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多くの保存されているSLで、完璧なものはそうそうないと思いますが、この21号機も計器類などかなり失われていました。

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それでも鉄の塊に石炭を焼(く)べて走る、往時の姿に思いを馳せるのでした。

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夕張鉄道の本線列車用の機関車で活躍した蒸気機関車は「11型」と「21型」があります。
夕張鉄道11形蒸気機関車は、夕張鉄道の開業に際し「日立製作所笠戸工場」で製造され、11~13号機が開業の1926年に入線し、14号機は野幌延長に合わせて1927年に増備されました。

「9200形」の縮小した足回りに、「8620形」に似たボイラーを組み合わせたような車両だそうです。

・12号機は、1975年3月31日に江別市の個人に譲渡されて保存されたそうです。
・14号機は、1972年5月に夕張市に寄贈され、夕張本町駅跡に開設された夕張市郷土資料館にナハニフ151とともに保存され、1980年9月に石炭の歴史村・SL館に移設されて保存されていますが、現在は休館中で見ることはできません。しかし、観光としてではなく文化遺産として国の予算が付いたようで、ひょっとすると数年後には会えるかもしれません。

さて「夕張鉄道 21」ですが、この「21」は「夕張鉄道21型」であり「21型の21号機」でもあります。

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11形より強力な機関車として導入されたものですが、基本的には国鉄9600形とほぼ同じ形状で、21号機のみ自社発注、22~28号機は国鉄の払い下げで、廃線時には21・25・26・27・28が残っていたそうです。

・21 1941年川崎車輛製造の自社発注機で、9600型蒸気機関車の最終製造車。
・22 1915年川崎造船製造の国鉄9682を1949年に譲受。1971年に北炭真谷地鉱業所へ移動。
・23 1914年川崎造船製造の国鉄9614を1956年に譲受。9600形初期型で1970年廃車。
・24 1914年川崎造船製造の国鉄9645を1960年に譲受。1969年に北炭真谷地鉱業所へ移動。
・25 1921年川崎造船製造の国鉄49694を1961年に譲受。
・26 1919年川崎造船製造の国鉄29674を1962年に譲受。
・27 1920年川崎造船製造の国鉄49634を1963年に譲受。
・28 1920年川崎造船製造の国鉄49650を1964年に譲受。

ちなみにこの21号機の他に、24号機は深川市の個人が9645として所有・保存。25号機は長沼町の馬追コミュニティーセンターに保存されているそうです。

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この車両の特徴として、連結器の上あたりに縦型の円筒形のものが左右に付いてます。これが良く出来たものでスノープラウ(除雪板)を上げ下げするためのエアーシリンダー装置です。

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解り難いけど、よく見ると一番下の部分が真っ直ぐではなく、レールの間だけ一段低く作られていますね。つまりレール間の雪も除雪できるということです。ただし線路は分岐している部分もあるので、そのままではレールにぶつかってしまいます。そんな時は運転室から上げたり下げたりと操作できる優れものです。

もうひとつの特徴はこれまた解り難いのですが、連結器の解錠装置が付いています。
文字だけではどうしようもないので、トリミングしました。
運転助士がレバーを引くことにより、テコの原理で連結器のチェーンを引き上げる仕組みのようです。

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これは何かというと、平和駅からの勾配区間では、上り貨物列車に後部補機(補助機関車)が付いたそうですが、補機というのは文字通り本務機を補助する機関車で、後部補機の場合は後ろから押しあげるイメージですね。
もちろん貨車と後部補機は連結されていますから、手動の場合は次の停車駅まで一緒に走らなくてはなりません。
しかし、この装置が付いていると、必要なところまで押して行ってガッチャンと手動で連結機を解除できるという、これまた優れものの装置です。

知れば知るほど深みにはまっていく「ワンデイトリップ」ですが、まだまだ続きます。

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機関士目線と、機関助士目線…。
当時はどんな風景が見えていたのだろう。。。

「津島軽便堂写真館」 さんに現役の彼らの写真がありました。
興味のある方はどうぞご覧ください。

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