北海道命名の地

いきなり質問ですが、「北海道命名之地 (ほっかいどうめいめいのち)」と聞いて思い浮かぶのは、どのようなイメージでしょうか?

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パッと見には何ら疑問も湧きませんが、よく考えると変だなと思いませんか?
言葉としては、「北海道と命名した場所」になるかと思いますが、かなり違和感を持ってしまいます。

ところで、「北海道」「HOKKAIDO」って全国的に、あるいは海外の特に東南アジアの方にも認知度は高いと思います。
しかしなぜ北海道なのか、蝦夷地がいつ北海道になったのか、そもそも北海道って単語は誰が考えたのか…、となると道民ですら何割の方が正確に答えられるでしょう。

もちろん自分も、歴史に興味を持つ数年前までは気にしたことすらありませんでした…。
別に教育のせいにする訳でもありませんが、北海道の成り立ちは学校で習った記憶もありませんし、もちろん歴史の教科書にも登場しません。

しかし、その発案者の業績を知れば知るほど、北海道にとってなくてはならない人物だったことが判ります。
個人的にとても興味を持っていて、当ブログ内の過去記事には「検索結果17件」ありました。

その人物の名前は「松浦武四郎」です。

どんな人物なのかは、過去記事の 「夏の思い出 2010 ~小平 松浦武四郎~ :: 2010/10/12(Tue)」 を、まず先にご覧いただければと思います。生い立ちからの人生を、簡単ですが書いてあります。

さて、蝦夷地が正式に「北海道」となったのはいつだったのでしょうか?
それは、開拓使が明治2年(1869)7月8日に設置され、上申されたのが7月17日、採用決定が約1ヵ月後の8月15日でした。

太政官布告(だじょうかんふこく) 
「蝦夷地自今北海道ト被稱十一ヶ國ニ分割國名郡名等別紙之通被 仰出候事」

これにより、蝦夷地を北海道として、北海道は11国86郡に分割されます。
この11国86郡の選定も武四郎の仕事でした。

時間を少し前に戻しましょう。
慶応4年(9月に明治と改元)4月、維新政府は蝦夷地経営のため箱館裁判所を設置し、閏4月に箱館府と改称します。
この時に現地を一番詳しく知っている人材として武四郎に白羽の矢が立ち、箱館府の判事に任じられます。
箱館府に代わり、箱館戦争後の7月8日に開拓使が設置されますが、武四郎は開拓使でも判官となります。

ちなみに開拓判官と聞くと、蝦夷地に着任ってイメージですが、武四郎は在京のままで、道名・国名・郡名を撰定することが主な仕事でした。

「蝦夷地道名之儀勘弁申上候書付」(えぞちどうめいのぎかんべんもうしあげそうろうかきつけ)」で上申したのが…。
日高見道・北加伊道・海北道・海島道・東北道・千島道という6つの案でした。

その中の、「北加伊道」が選ばれ「加伊」を「海」として…とか、「土地の人たちは自分たちの住んでいる所をカイと呼び…」というようなお話は、ネット上に腐るほど存在してますので割愛します。(笑)

個人的な興味は、武四郎が道名・国名・郡名をどのように考え進めていったのかを知りたいということです。残念ながら手持ちの資料には無いのですが、もし武四郎の日記のようなものがあれば、ぜひ読んでみたいものです。

と言うことで、ここからは夢想のお話です。(笑)

まず、道名についてですが、提案された6つに共通していることがあります。
それは、すべてに「道」が付いていることですが、これは五畿七道の道で、国をいくつも含むような広い地域のイメージです。当時の日本全体を見た時に、広い蝦夷地は「道」に匹敵するとイメージしたのではと思いますが、これは最初から決まっていたのか、武四郎の考えなのかは分かりません。

ちなみに七道は、東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道です。
まったくオコガマシイ事ですが、もし自分が武四郎の立場なら、考えるまでも無く即決しそうですけど、どうですか?
山の陰と陽、北の陸と東の山を除けば、東と西と南の海…。無いのは北の海の道ですね。

もう一度見てみましょう。日高見道・北加伊道・海北道・海島道・東北道・千島道。
武四郎は方位である北と、海・山・陸・島…などの組み合わせも考えたことでしょう。

「よし!北海道・北山道・北陸道・北島道…いいねぇ~、北陸はあるから陸は却下してと…」
「海山道・山海道・海陸道・陸海道・海島道・島海道…ん~ピンと来ないけど海島道くらい入れておくか…」

ま、そんなこともやったかもしれませんが、武四郎の心の中には「北海道」がすでに存在していました。
それは自らの雅号を「北海道人」としていたのですから、間違いないと思います。

ネット上にも当時の武四郎は「北海道人」という雅号を使っていた記述が多くあります。
間違いではないのですが、その正しい意味を書いておこうと思います。

まず、雅号(がごう)というのは、文人・画家・書家などが、本名以外につける名のことで、基本は漢字二文字で今で言うペンネームのようなものですが、本名より雅号で知られている有名人は多く居ます。

吉田松陰→吉田寅次郎矩方。
勝海舟→勝安房守義邦 / 勝安芳。
夏目漱石→夏目金之助。
森鴎外→森林太郎。

この松陰・海舟・漱石・鴎外が雅号です。
では武四郎の「北海道人」が雅号とすると、松浦北海道人になります。
これはおかしな話になってしまいますね。

じつはこれについて書いてあるものは見たことがありませんが、武四郎の雅号は「北海」だと思います。
それは「北海道人」「北海道 人」「北海 道人」と考えた時にピンと来ました。
雅号とは別に、称号の略である「号」があります。本名と別に使用するのは同じですが、それ自体に意味を持つ名称のことです。

逸士・処士・隠士・迂士・逸民・外史・仙史・樵客・山樵・漁夫・漁叟・散人・山人・野人などがあり、もちろん「道人」もあります。たとえば「逸士」は世をのがれて暮らしている人の意味であり、道人の意味としては…。

・仏道の修行をする人。また、出家得道した人。
・道教を修めた人。神仙の道を得た人。
・俗事を捨てた人。世捨て人。

武四郎の場合は、「北海の世捨て人」のイメージで使っていたのでしょうか。

さて、道名については「北海道」が一押しの武四郎でしたが? まさか一押しの案と自分の雅号がかぶってしまうとは、道名を創作する以上に悩んだことでしょう。そこで浮かんだ名案がアイヌ語由来の説明だったのではないでしょうか。

長い時間アイヌと共に、全道くまなく旅をした武四郎です。アイヌ語にも精通していました。

「北海道…ホッカイドウ…ホッ…カイ…ん!そう言えばカイについて天塩日誌に書いたなぁ~」
「よし北海だとバレバレだから北加伊にしておこうっと。後で加伊より海の方がイイネとなればラッキー!」
「他の提案は却下されるように適当な意味をこじ付けて…っと」

…と考えたかどうかは分かりませんが、結果は大成功でした。
それよりも11の国名と86の郡名をまとめる作業の方が大変だったのかもしれません。
国名・郡名についても、それぞれに詳細な案を出し、ほぼ原案通り採択されたそうです。
そもそもどこに何があるかはもちろん、行ったことも無い人たちばかりで、武四郎に頼るしかなかったのでしょうね。

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「天塩日誌」を訪ねて

北海道命名ゆかりの地
北海道の名付け親・探検家松浦武四郎 

~北海道命名の発想~

 安政四年、武四郎はアイヌの人達と共に天塩川を探査し『天塩日誌』として書き残しました。
天塩川探査の帰途中、オニサッペ(筬島の鬼刺川付近)で、故事に詳しいアイヌのアエトモ長老から話を聞きました。

 アイヌの通称である「カイナ」の『カイ』とは、この国に生まれた者ということで、『ナ』とは、貴人をさす尊敬の言葉である。

 これを聞いた武四郎は、「アイヌの人々は、自らその国を呼ぶとき、加伊(かい)と言い、アイヌは ひげが長いところから、蝦夷(かい)の字を用いたが、もともと蝦夷地の蝦夷(えぞ=かい)とは加伊(かい)のことである。」と考えました。
 明治二年七月十七日、武四郎は道名に関する意見書を提出。候補に、日高見道(ひたかみどう)・北加伊道(ほくかいどう)・海北道・海島道・東北道・千島道の六道を提示、この中から「北加伊道」が採用され、「加伊」の字に北方の海に通じる「海」をあて、「北海道」名が誕生しました。
 現在の「北海道」の名は、まさにこの地でアエトモ長老と出会ったことから生まれたのです。

天塩川は,平成16年に北海道遺産として選定されました。

北海道遺産

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筬島大橋からの天塩川。

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鳥のトリミング。

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実は2011年の8月に通りかかった時に、チラッとこの看板が見えて寄りました。

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後に知ったのですが、2011年4月に、佐近新村長が就任し木標の再建を図ろうと北海道大学演習林から寄贈された樹齢150年ほどのトドマツを加工し、高橋はるみ北海道知事の揮毫(きごう=毛筆で言葉や文章を書くこと)により、木標が完成しました。再建除幕式は2011年7月17日に行われたそうです。

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たしかこの時、知事が一生懸命頑張って書きましたって字だなぁ~と思った。(笑)
木標も出来立てって感じですが、わずか3年でも比較するとそれなりの変化がありますね。

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筬島大橋からの天塩川。
お天気が良いと雰囲気が違いますね。

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さらに気になる方は…。
・音威子府村の観光情報満載のサイト [音威子府観光情報サイト]
・上川総合振興局 天塩川周辺情報満載! 「てっし散歩」

場所は、音威子府から稚内方面へ進むと、筬島大橋を右手に過ぎると間もなくキツイ左カーブがあります。
その手前、国道40号沿いに上記の看板があります。「Google マップ」

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