砂澤ビッキ ~エコミュージアムおさしまセンター 「アトリエ3モア」~ vol.2

ビッキさんは、1978年の個展で、音威子府(オトイネップ)高校の狩野剛校長から移住を勧められたそうです。
音威子府高校は、1950年「北海道名寄農業高等学校音威子府分校」として開校。1953年「定時制の北海道音威子府高等学校」として独立。
1978年は、入学者がわずか6人しか居なかったそうです。1984年に「全日制工芸科」に学科転換し、2002年「北海道おといねっぷ美術工芸高等学校」と改称します。

砂澤ビッキ ~エコミュージアムおさしまセンター 「アトリエ3モア」~ vol.1 :: 2014/10/04(Sat) にリンクしてある当時の映像をご覧いただくと解るかと思いますが、村を挙げて工芸に力を入れて行こうとしている時期に、ビッキさんに声がかかったのかもしれませんね。

ビッキさんのアトリエは「旧筬島小学校」です。

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明治42年(1909)4月1日、物満内(モノマナイ)小学校として開校。
昭和37年(1962)から筬島(オサシマ)小学校と改名。
昭和53年(1978)3月31日閉校。

場所は、JR北海道 宗谷本線 筬島駅の近くです。
住所は、北海道中川郡音威子府村字音威子府444番地1になっています。

「Google マップ」 をリンクしておきますが、ナントナント「ストリートビュー」が有るではないですか!美深ですら国道にしかないのにスゴイ。地図を見ると分かりますが、駅正面の道を真っ直ぐ進むと旧筬島小学校(エコミュージアムおさしまセンター)があります。

ビッキさんはこの場所で、昭和53年(1978)11月から約10年間で、1000点を超える制作活動をされたそうです。

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メイン施設の「アトリエ3モア」ですが、ビッキさんがはじめてアトリエを構えたのが昭和48年(1968年)春。札幌の宮の森にあった「モア」。なぜか 同年、同じ札幌の白石区の北日本民芸社内に移転し 「モアモア」と名付けられます。
3回目のアトリエなので、3(サン)モアになったそうです。

平成元年1月25日に、ビッキさんは札幌愛育病院で亡くなりました。享年57歳でした。
お墓は生まれ故郷の旭川にありますが、音威子府の山の中にある、赤エゾ松の根元にも分骨されました。

「砂沢ビッキさんのお墓 :: 2013/08/31(Sat) 」

平成15年(2003)4月26日に、「ビッキ記念館」としてオープンし現在に至ります。

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