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北方民族のお話

北方民族のお話を少しだけ…。



北海道の先住民族は「アイヌ」。
当たり前のように、疑いようのない事実として国も世界も認めているのが現状です。

しかし、これが本当はどうなのかという御意見も有るわけです。
砂澤ビッキさんの御子息である砂沢陣さんは、純粋なアイヌはすでに居ないし、民族ではなく部族であるとも言います。

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※白老のポロトコタンで撮影

ウィルタ民族という民はご存知でしょうか。
2002年(平成14年)の国勢調査によると、346人が樺太(=サハリン 以下樺太と表記します)の北部から南部のポロナイスク(旧敷香町)近郊に居住していて、日本の敗戦後には北海道の網走市などへ移住し、1978年の調査では、6世帯13人が住んでいたそうです。

網走市には、北海道立 「北方民族博物館」 があります。


ウィルタ民族は、元々は樺太の中部以北に住んでいた民族で、ツングース系であり、アイヌからはオロッコと呼ばれていました。さらに北に住むシベリアのツングース系諸族と交流を持ち、樺太中部に居住するニヴフや、樺太南部のアイヌとも交易をしていたということで、言語はツングース諸語の系統であるウィルタ語。

ニヴフ民族は、樺太中部以北及び対岸のアムール川下流域に住む少数民族で、古くはギリヤークと呼ばれ、アイヌやウィルタと隣り合って居住していました。
言語は、ウィルタ語の属するツングース諸語ともアイヌ語とも系統を異にする固有の言語であるニヴフ語を持つそうですが、アムール川流域と樺太のニヴフ語は大きく異なるそうです。

整理すると、樺太には北から「ウィルタ=オロッコ」・「ニヴフ=ギリヤーク」・「アイヌ(樺太アイヌ)」が住み分けて、それぞれの言語を持っていたということになります。

過去記事に 「北海道立埋蔵文化財センター vol.2 ~オホーツク文化~ :: 2013/12/01(Sun) 」 がありますが、その中にも謎のオホーツク人について書いてあります。長い歴史の中で上記の民たちが北海道に住んでいたこともあったと考えるのです。特にニヴフがオホーツク人ではなかったのか…、熊送りはオホーツク人からアイヌへ伝わったのではないかと思っています。その他にもそう考えた方が納得がいくような遺跡も多く発掘されています。

近代の国と言うスタンスでは、日露は盗った盗られたの歴史が繰り返されますが、樺太の先住民であるウィルタ、ニヴフ、アイヌといった民の交流にはロマンがあります。

たとえば、文禄二年(1593)に、北海道(当時は蝦夷地)松前藩の初代藩主である蠣崎慶広が、朝鮮出兵のために肥前国名護屋城で兵を率いる豊臣秀吉に謁見するのですが、その時に蠣崎慶広は「奥狄唐渡の嶋」から持ち着たりし「唐衣( サンタンチミブ)」※中国製の絹織物の総称 を、おそらくわざわざ着用し秀吉に見止められ、その場で脱いで献上したとされています。

これが俗に言う「蝦夷錦」で、宣教師の史料である元和四年(1618)のアンジェリス報告、 元和六年(1620)のカルワーリヤ報告では、西方から松前に来航する蝦夷人(アイヌ民族)が、「上質の絹布」を松前氏への礼として持ち込み、それが坊主の衣や十徳になるとされている。と記されているそうです。

この史実がまさしく中国からウィルタ族・ニヴフ族らにより、樺太からアイヌを経由して松前藩…。俗に言う「山丹交易(さんたんこうえき)」が実在していた裏付けになります。

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※旭川市博物館で撮影。以下同様

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色もデザインも違うけど、なぜかナウシカを連想してしまう。

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アイヌコーナーの一部。

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どれほどの温かさがあるのか体験してみたい。

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可愛い…。個人的にはアイヌ模様の元祖はこちらかと思っています。

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オロチョン族はツングース系民族で、主に北東アジアの興安嶺山脈周辺で中国領内の内モンゴル自治区、その近隣のロシア領内に居住し、もともとは移動しながらの狩猟生活。人口は約7千人。

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