上藻別駅逓所 vol.2

関連記事に…。

・「鴻之舞鉱山(こうのまいこうざん) :: 2015/01/04(Sun)
・「上藻別駅逓所 vol.1 :: 2015/01/05(Mon)

…あります。

「上藻別駅逓所 vol.2」は、鴻之舞関連の展示についてです。

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大好きなジオラマもありました。
もっと深くこの地の事を知ったうえで再訪すると楽しいでしょうね~。

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石好きにはたまらない、ジャスパーや黒曜石やメノウもありました。
鉱石についても、もっともっと知りたいものです。

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説明をしてくれた方々は、地元の金についてはかなり造詣が深い感じ。
さすがぁ~と思いつつ色んなお話が出来ました。感謝です。

こちらが、鉱石の原石です。
そもそも昔は金が露頭していたというのですから、発見した時は狂喜乱舞だったのでしょう。

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どんな宝石より魅力を感じますが、普通に置いてあって大丈夫?(笑)

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この金も本物のようで、「重いでしょ」と持たせてくれました。
博物館とかだったら有り得ませんよね。

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旅の最後に、芸者の「金八姉さん」のお話し。

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今回、丸瀬布(現 遠軽町丸瀬布町)から、道道305号を紋別方面へ向かったのですが、昔の道道305号は山間部に金八峠があり、急勾配・急カーブでしかも道の狭い未舗装道路で、今で言う林道のような道だったようです。2009年7月に「金八トンネル(延長1752m)」が施工されルート変更により、通年通行で大型車両の通行が可能になりました。

さて、大正末の鉄道ですが、名寄線が開通し旭川からは名寄経由・遠軽となっていました。
しかし、旭川-野付牛(現 北見市)間の石北線の工事が進行していて、鴻之舞から鉄道本線に通じる交通路が整備されることになります。

昭和2年、鴻之舞鉱山からの路線選定をめぐり、遠軽と丸瀬布がしのぎを削り合い、道庁からも調査官が数度にわたって現地へ派遣され、路線の選定が検討されたそうです。もちろん、道路が通じれば地域の発展に大きく関わるので、道路誘致は地域を挙げての猛運動を展開しました。

そんな中、丸瀬布の東町にあった料亭「美濃家」の「金八(本名 勝又ツナ)」という芸者がいました。
日頃から贔屓になっている方々から頼まれたのか、調査官たちに最大級の「おもてなし」をされたそうです。

それが功を成したのかどうかは判りませんが、道路は丸瀬布からの設計になりました。
昭和6年12月。鴻之舞-丸瀬布間道路が竣工した当日のことです。
皆が峠で休息した時に、「この峠の名前をつけよう」ということになったそうですが、ほとんどの人が思い浮かべたのが「金八」でした。

この道路開通の蔭の功労者は「金八」しか有り得ないということで、「金八峠」としたそうです。
もちろん鴻之舞の「金」に末広がりの「八」ですから、これほど縁起が良いことは「建前」としても納得させることができたのでしょう。

命名決定者が「金八」は芸者の名前だと知っていたかどうかは謎ですけどね…。
今日の旅は、これでお終いです。

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そうそう、忘れるところでした。
「上藻別駅逓保存会」のホームページがあります。
当時の貴重な写真もたくさんありますし、鉱山について興味のある方には貴重な資料になると思います。

今回訪問時に対応していただいたのも、保存会に関係している方々だったと思います。
ひょっとしたら着いた時には、すでに閉めるタイミングだったのかもしれませんが、とても詳しく丁寧に説明までしていただけました。

「〇〇君、そっち電気着けてくれ~」なんて、私たちだけのために対応していただけたのだと思います。

雨の中見送りまでしていただいて、ボランティアでされている方々だからこそ、なおさらとても有り難く頭が下がる想いでした。次回は少しでも多く協力させていただきたい気持ちで帰路に着きました。

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