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「倉本 聰」とは…。 vol.3 ~富良野時代 「北の国から」前夜~

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やがて富良野へ住むことになったわけですが、そこはロマンチックとは真逆の世界。

果てしなき闇と静けさ。。。
一冬めは孤独と失意で「毎日どうやって死のうか」ということばかりを考えていた。

そのうちに自分の耳が動くようになってきた。
それは、ウサギやリスなど野生動物がかすかな音から危険を感知して耳を動かすのと同じで、野性が戻ったと感じた。

そして二冬め、孤独や失意は少し薄れてきました。
「神様は私に試練を与え、私はここに住むことを許されたに違いない」

そんなことを言ってるわけですが…。

昭和52年(1977) 42歳 富良野へ移住。

昭和57年(1982) 47歳
・「北の国から」テレビ大賞・山本有三記念「路傍の石」文学賞受賞。
・「駅 STATION」キネマ旬報・毎日映画コンクール・日本アカデミー賞最優秀脚本賞受賞。

昭和58年(1983) 48歳
・富良野市西布礼別地区心和農場所有の原野を借り受け、富良野塾開設の地とする。
・「波の盆」芸術祭大賞受賞。

テレビドラマ脚本 ※連続ドラマ

'76 「大都会(1)闘いの日々※」「再会 ~ふるさとさむく※」「幻の町」「嘆きのホンカン」「前略おふくろ様(2)※」「ひとり」
'77 「冬のホンカン」「あにき※」「時計」
'78 「浮浪雲※」「さよなら・サッポロ(七人の刑事)」「スパイスの秋」「坂部ぎんさんを探して下さい」
'79 「年の初めの」「たとえば、愛※」「一年」「祭が終ったとき※」「遠い絵本 第一部 第二部」「'80 さよならお竜さん※」「機の音」
'81 「ホンカン雪の陣」「北の国から※」「ホンカン仰天す」
'82 「ガラスの知恵の輪※」「君は海を見たか※」
'83 「北の国から'83 冬」「波の盆」

映画脚本

'78 「冬の華」「ブルークリスマス」
'81 「駅 STATION」

1981年に、連続ドラマ「北の国から」がはじまりますが、富良野に移住して「毎日どうやって死のうか」とか言いつつもスゴイ数の脚本を書いていたことになります。
気持ちは気持ちとして仕事は別で、チャンとこなしていたということなんでしょうか。個人的にはそんな状態で文章を書けるとは思えませんが…。


さて、「北の国から」ですがインタビュー番組の中で…。

フジテレビが来て、「アドベンチャーファミリー」「キタキツネ物語」が当たったから、そんなものを書いてほしいと言われた。
北海道に電気も水道も無く電話も通じない場所は無いと言うと、東京の人が主に見るものだから東京の人が抱く北海道のイメージであればと言われ「コチン」ときた。
北海道を書くのに北海道の人に嘘だと思われたら最後だ。
企画を考える時に富良野にモデルになる人物がいた。偏屈なので会わない方が良いと言われ会わなかったが生活は周りから観察した。(※ベベルイに住んでいた大浜五光さんだと思います。)

そしてあのドラマが始まった

富良野の「北の国から記念館」に展示されていた文章は…。

ドラマのスタートは、企画から始まる。
プロデューサー、演出家、脚本家が意見を出し合い
企画が練られる。

プロデューサー
「アドベンチャーファミリー、キタキツ
ネ物語がヒットしたので、北海道を舞台にあ
のようなドラマが作れないか」

脚本家
「キタキツネ物語は三年近い年月を使っ
てキタキツネの生育を追っている。
そのような制作体制が今のテレビドラマで出
来るのか。また、アドベンチャーファミリー
は人間社会から隔離された北米の原野が舞台
になっている。そのような舞台は北海道には
ない。」

プロデューサー
「テレビの主たる視聴者は東京の人間である。
北海道にそうしたフィクションの土地を置い
ても、東京人はそれをかえって面白く思うだろ
う。」

脚本家
「その考えは間違っている。
板前のドラマは板前が、刑事のドラマは刑事
が見て感動してくれなければ本物とは言えな
い。北海道を舞台にしたドラマが、北海道人に
嘘だと思われたら良い作品などできるわけが
ない。」

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