天塩川歴史資料館 vol.1



このご立派なレンガの建物が、天塩川歴史資料館で、旧天塩町役場です。
昭和26年の建築で、平成元年に再生されたそうです。

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入館料は200円でした。

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入口には「長門船」の展示です。
平成元年の資料館開設に際に、「母なる天塩川と共に歩んだ町の歴史」を最も的確に表現するには、「長門船」しかないということになったそうです。

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昔、道路や鉄道が整備されていない明治の頃、天塩川は貴重な交通路とされていました。
現在の士別市までの上りには、米・味噌・酒・呉服・各生活雑貨などはもちろん、移住民の荷物等を積んで天塩川を遡り、逆に下りの際には農産物や木材、薪や炭等を積み荷としていました、

明治33年(1900)年の初春、約40石(米に換算して約100俵ほど)積みの船が造られます。
それを「長門丸」と命名し、運航がはじまりました。
その後天塩川を運航する舟は、すべて「長門」と呼ぶようになり、昭和24年(1949)頃まで運航されていたそうです。
この展示されているものは2分の1のスケールで復元されたものとのことです。

背景の写真は大正時代の天塩港で、沖合に煙をはく大型蒸気船が何隻も停泊し、河口付近には大量の材木が積まれています。天塩で切り出される「エゾマツ」は高級木材の「天塩材」として、本州や海外で人気を集めていたそうで、現在の天塩町は木材景気に賑わっていたようです。

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実際の長門船は全長15メートル、幅3.2メートル、積載量40石で、米百俵あまりを積められて、2人が寝泊まりできる船室と帆を持つ手こぎ船でした。
その後、昭和7年(1932)にはエンジン付きの長門船となります。
通称「ポンポン船」の模型もあります。

やがて、道路や橋が整備され鉄道が天塩に至る頃に役割を終えました。

過去記事に、石狩川の船…。

・「江別河川防災ステーション」
・上川丸 vol.1
・江別郷土資料館 vol.5 ~上川丸vol.2~

…があります。合わせてご覧いただくと、今は無き「北海道の川運?」が垣間見られるかもしれません。

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