松浦武四郎の略年表と著作について

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現代においても、北海道の海岸線を一周するなんてなかなか出来ることではありません。
しかし、江戸時代に武四郎は何回もいとも簡単に?踏破しています。

海岸線には多くの河口があるわけで、砂浜であれ岩場であれ川を渡ることは簡単ではありません。
この写真は増毛の暑寒別川の河口になりますが、橋の無い時代にこの急流をあなたならどうやって進みますか。

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それにしても断崖絶壁の場所なんてどうしたんでしょう。
もちろんアイヌのガイドで丸木舟での移動も想像できますが、それにしても過酷な旅だったと想います。

そんな松浦武四郎の生涯を略年表にしてみました。
まずは大まかにご理解いただき、今後はさらに詳しく掘り下げていければと考えています。
ちなみに、簡単な時代考証のイメージとして、その年の大きな出来事とともに著作品についても時系列に紹介できているかと思います。


まずは…。
文化15年(1818) 伊能忠敬が亡くなった年に、松浦時春(桂介)の四男として「竹四郎」誕生。
ちなみに、干支が「寅」なので、寅(虎)にゆかりの深い「竹」と四番目に生まれた「四郎」で「竹四郎」と名付けたそうです。
後に「武」の字に変えますが、実は「武四郎」は幼名で成人後の正式な名(諱)は「弘」(ひろむ)、字(あざな)は「子重(しちょう)」と言うそうです。

幼少青年期は割愛するとして…。

天保14年(1843) 26歳 長崎でロシア南下を知り蝦夷地を目指す。
・「西海雑誌」を著す。

弘化元年(1844) 27歳 蝦夷地を目指し、青森鰺ヶ沢まで行くものの松前藩の取締りにより断念。
・「四国遍路道中雑誌」を執筆。

弘化2年(1845) 28歳 商人和賀屋孫兵衛の手代として「第1回蝦夷地探査」。
函館から太平洋側の沿岸を知床まで踏破し函館へ戻る。

弘化3年(1846) 29歳 松前藩医西川春庵の下僕「雲平」として「第2回蝦夷地探査」。
江差から宗谷・樺太へ渡り、オホーツク海を南下し知床まで踏破。宗谷・石狩・千歳・江差。

嘉永2年(1849) 32歳 「第3回蝦夷地探査」。函館から船で国後島、択捉島へ渡る。

嘉永3年(1850) 33歳
・「初航蝦夷日誌」全12冊
・「再航蝦夷日誌」全14冊
・「三航蝦夷日誌」全8冊が完成。
・「蝦夷大概図」
・「新葉和歌集」を出版。

嘉永4年(1851) 34歳
・「蝦夷沿革図」
・「表忠崇義集」を出版。
・「断璧残圭」
・「盍徹問答」
・「婆心録」を復刻。

嘉永6年(1853) 36歳 6月にアメリカのペリーが浦賀に来航、7月にロシアのプチャーチン長崎に来航。
吉田松陰と海防問題を語り合う。
・「読史贅議」を復刻。

安政元年(1854) 37歳 ペリー再航・日米和親条約・日露和親条約。
・宇和島藩の依頼で下田のペリー一行の様子を調査する。「下田日誌」。
・「壺の石(蝦夷地)」を出版。

安政2年(1855) 38歳 蝦夷地は松前藩領から幕府の再直轄となる。日蘭和親条約。
武四郎は幕府から蝦夷地御用御雇入の命を受ける。
・「後方羊蹄於路志」
・「於幾能以志」を出版。

安政3年(1856) 39歳 「第4回蝦夷地探査」。函館から宗谷、樺太へ渡る。
・「箱館往来」を出版。

安政4年(1857) 40歳 「第5回蝦夷地探査」。函館から石狩・上川・天塩・函館を巡る。
・「蝦夷葉那誌」
・「新選末和留辺志」を出版。

安政5年(1858) 41歳 日米修好通商条約、井伊直弼による安政の大獄の年。
「第6回蝦夷地探査」。北海道全ての海岸と十勝・阿寒・日高を巡る。
・「近世蝦夷人物誌」の出版許可ならず。
・「壺の石(北蝦夷地)」を出版。

安政6年(1859) 42歳 安政の大獄により、吉田松陰ら死刑。
・「按西・按東・按北扈従録」全32冊
・「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌」全23冊
・「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌」全62冊が完成。
・「東西蝦夷山川地理取調図」全28冊
・「蝦夷漫画」
・「蝦夷地名奈留辺志」を出版。

万延元年(1860) 43歳 勝海舟ら咸臨丸で太平洋横断。桜田門外の変で井伊直弼暗殺。
・「北蝦夷余誌」
・「蝦夷闔境山川地理取調大概図」を出版。

文久元年(1861) 44歳 皇女和宮が将軍家茂へ降嫁。
・「後方羊蹄日誌」
・「石狩日誌」
・「久摺日誌」
・「十勝日誌」を出版。

文久2年(1862) 45歳 坂下門外の変。
・「夕張日誌」を出版。

文久3年(1863) 46歳 薩英戦争。
・「納沙布日誌」
・「知床日誌」
・「天塩日誌」を出版。

元治元年(1864) 47歳 第一次長州征討。
・「鴨厓頼先生一日百詩」
・「新板蝦夷土産道中寿五六」
・「新板箱館道中名所寿語六」を出版。

慶応元年(1865) 48歳 第二次長州征討。
・「西蝦夷日誌 初編」
・「同 二編」
・「東蝦夷日誌 初編」
・「同 二編」を出版。

慶応4年(1868)=明治元年 51歳 4月江戸城開城。 
東海道間道調べ、任徴士箱館府判官。

明治2年(1869) 52歳 版籍奉還上奏、東京遷都。5月榎本武揚ら箱館で降伏し戊辰戦争終結。8月蝦夷地を北海道と改称。
武四郎は任開拓判官となり、道名・国名・郡名撰定に尽力、叙従五位。
・「蝦夷誌」を復刻
・「北海道国郡図」
・「北海道国郡略図」
・「千島一覧扇面」
・「西蝦夷日誌三編」
・「東蝦夷日誌 三編」
・「同 四編」を出版。

明治3年(1870) 53歳 開拓判官辞職(従五位返上)。
・「蝦夷年代記」
・「壺乃碑考」
・「林氏雑纂」
・「千島一覧」
・「西蝦夷日誌 四編」
・「東蝦夷日記 五編」を出版。

明治4年(1871) 54歳 廃藩置県、日清修好条規調印。
・「竹島雑誌」
・「読史贅議逸編」
・「西蝦夷日誌 五編」
・「東蝦夷日誌 六編」を出版。

明治5年(1872) 55歳 新橋・横浜間鉄道開通。
・「百蟲行」
・「西蝦夷日誌 六編」を出版。

明治6年(1873) 56歳 徴兵令、地租改正条例。
・「東蝦夷日誌 七編」を出版。

明治9年(1876) 59歳 日朝修好条規締結。
・「馬角斎茶余」を出版。

明治10年(1877) 60歳 西南戦争、モースが大森貝塚発掘。
・「撥雲余興」を出版。

明治11年(1878) 61歳 大久保利通暗殺。
・「新獲小集」
・「東蝦夷日誌八編」を出版。

明治12年(1879) 62歳 教育令公布、沖縄県設置(琉球処分)。
・「尚古杜多」(同題で二種類)を出版。

明治13年(1880) 63歳
・「庚辰游記」を出版。

明治14年(1881) 64歳 国会開設、開拓使官有物払下事件。
・「辛巳游記」を出版。

明治15年(1882) 65歳 日本銀行設立。
・「撥雲余興二集」
・「壬午游記」を出版。

明治16年(1883) 66歳 徴兵令改正、岩倉具視没。
・「癸未溟志」
・「癸未溟誌」を出版。

明治17年(1884) 67歳 松方デフレで不況。
・「甲申小記」を出版。

明治18年(1885) 68歳 内閣制度創設。
・「乙酉掌記」
・「乙酉後記」を出版。

明治19年(1886) 69歳 北海道庁設置。
・「丙戌前誌」
・「丙戌後記」を出版。

明治20年(1887) 70歳 伊藤博文が憲法起草開始。
武四郎は、東海・近畿・四国・山陽・九州巡り、富士登山。畳一畳の書斎を建てる。
・「木片勧進」
・「丁亥前記」
・「丁亥後記」を出版。

明治21年(1888) 71歳 市制・町村制公布、枢密院設置。
武四郎は、叙従五位、2月10日没。浅草称福寺に墓所(現在は東京染井墓地に移る)。

翌明治22年に大台ケ原へ追悼碑(分骨碑)が建立される。

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