天塩炭鉱 達布のお話し vol.1 ~誕生まで~

0B023690000000000.jpg ※画像は留萌の大和田炭鉱

過去記事の、「北海道の炭鉱」にも書いてありますが、当時調べた北海道において閉山した炭鉱は214もありました。

最後まで残った有名な炭鉱は、夕張・美唄・芦別・歌志内…などの最終的には三井三菱などの財閥系の炭鉱でしょう。
しかし、一般的な認識として、その他にも炭鉱が存在したこと、ましてや留萌や小平(羽幌も)地方に炭鉱があったなんて知らない道民の方も多いかと…。

まずは留萌地方の炭鉱の歴史を振り返っていきましょうか。

1874(明治7)年 開拓使のお雇アメリカ人ライマンによる地質調査。
1883(明治16)年 小樽の大竹作右衛門による小平蘂川流域石炭調査。
1887(明治20)年 大竹作右衛門によりヲキナイ上流石炭開採。
1894(明治27)年 田中北海道鉱山株式会社による小平蘂区石炭試掘。
1901(明治34)年 北海道炭礦鉄道株式会社(後の北海道炭礦汽船)が石炭採掘権を所有。
1905(明治38)年 大和田で石炭採掘始まる。

明治期には、露頭している石炭を中心に採炭していた程度で、留萌港に入港する蒸気船に供給していたようです。

1911(明治44)年、地質調査所による小平蘂川流域の炭田予察調査。
1920(大正9)年、地質調査所による小平蘂川南部炭田調査。
1922(大正11)年、地質調査所による小平蘂川北部炭田調査。

このエリアが動き出すのは昭和初期になってからです。

1938(昭和13)年
・7月 留萠-達布間地方鉄道建設申請。
・8月 人造石油事業法公布。
・12月 北海道人造石油株式会社創立。

1939(昭和14)年
・3月留萠-達布間地方鉄道敷設免許。
・5月天塩鉄道株式会社創立。

昭和13年と言えば、第1次近衛内閣によって国家総動員法が制定された年。
※総力戦遂行のため国家のすべての人的・物的資源を政府が統制運用できる(総動員)旨を規定したもの。

戦争の匂いがプンプンする最中の天塩鉄道鉄道敷設免許申請書には…。

1.北海道人造石油会社第二工場(留萠に建設予定)向け原料炭の輸送(35万トン/年)。
2.天塩礦の開発に要する作業機械を運搬するために鉄道敷設は不可欠。
3.一般市場向け石炭の輸送(10~20万トン/年)。
4.御料林から伐り出された木材の輸送(2.5万トン/年)。

帝室林野局は小平-達布間森林鉄道敷設を中止し、全量を天鉄により輸送することとなったため、木材不足の折、天鉄の開通は特に急を要する。

これは何かと言いますと、小平には広大な御料林があり、天鉄創立時の発行株式 6万株のうち 2万株を宮内省が引き受けています。天鉄は北炭と宮内省の共同事業で、資本金総額 300万円のうち宮内省が100万円を担ったということになります。

つまり、天鉄は強力なスポンサーとして宮内省の力を得て誕生した国策事業との見方も出来ます。
それともう一つの特徴は、「北海道人造石油」の存在です。

人造石油はドイツの「石炭液化技術」ですが、戦争の引き金となった石油の採れない日本が、石炭から石油を精製しようとする苦肉の策です。

出資者は帝国燃料興業が中心となり、三井・三菱・住友の三大財閥のほかに、北海道炭礦汽船などが資本金7,000万円と当時としては破格の財務規模で発足しました。

さらに人造石油製造事業法に基づく多額の補助金がつぎ込まれたものの、戦争に突入すると資材不足などのためプラントの稼働率は低迷します。元々採算が合わない事業です、戦争のためとはいえ結果的には石油不足の解消には貢献できずに終戦を迎え、1952年に経営破綻します。

ちなみに、本社建屋は陸上自衛隊滝川駐屯地本部隊舎として、研究所及び工場は留萌駐屯地として現存しています。

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