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天塩炭鉱 達布のお話し vol.2 ~天塩鉄道と天塩炭鉱~

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過去記事 「天塩炭鉱 達布のお話し vol.1 ~誕生まで~」 にも少し書きましたが…。

北海道炭礦汽船(北炭)は1901年(明治34年)に天塩炭礦の鉱区を取得していたものの、実際に動き出したのは昭和になってからです。

1938年(昭和13年)には人造石油製造事業法が施工され、国策会社である「北海道人造石油」が滝川工場と留萠事業所を設置し、石炭液化による人造石油の製造を目指します。

北炭は同年、天塩炭礦の石炭輸送と御料林木材輸送を主な目的に留萠-達布間の鉄道敷設免許を申請し、太平洋戦争開戦間もない1941年(昭和16年)12月18日に開業。※大人の事情がぷんぷん…。

敗戦により人造石油製造が中止されると北炭は撤退し、1951年(昭和26年)4月からは天塩鉄道が炭鉱を経営することになります。昭和33年には住吉炭鉱の採掘権も得て、1959年(昭和34年)社名を天塩炭礦鉄道に変更。

しかし、ピーク時の輸送量は貨物が年間20万トン、旅客輸送は日に約850人ほどで振わなかったそうです。

住吉炭礦の露天掘りや、本坑の日新炭礦も成果が上がらず、1967年(昭和42年)4月に閉山します。バス事業は天塩鉄道バス(現 てんてつバス)へ引き継ぎました。

駅は、留萠駅-春日町駅-桜山駅-天塩本郷駅-沖内駅-寧楽駅-天塩住吉駅- 達布駅。
路線総延長は25.4 km。

年表的には…。

1938年(昭和13年)7月21日:天塩鉄道留萠 - 達布間鉄道敷設免許申請。
1939年(昭和14年)3月15日:天塩鉄道敷設免許 3月15日:天塩鉄道設立。
1941年(昭和16年)12月18日:留萠 - 天塩本郷間運輸営業。天塩本郷 - 達布間車扱貨物営業開始。
                   臼谷・天塩本郷・達布各駅営業開始。
1942年(昭和17年)6月29日:天塩本郷 - 達布間一般貨物営業開始 8月1日:天塩本郷 - 達布間旅客営業開始。
                   沖内・寧楽・天塩住吉 各駅営業開始。

1945年(昭和20年)達布駅裏貯木場へ達布森林鉄道が接続
1949年(昭和24年)7月25日:春日町停留場設置届
1951年(昭和26年)4月1日:天塩鉄道が北炭より天塩炭礦を譲受けて操業開始
1957年(昭和32年)達布森林鉄道廃止
1959年(昭和34年)5月30日:天塩炭礦鉄道に社名変更
1961年(昭和36年)6月1日:路線バス事業免許
1967年(昭和42年)7月27日:運輸営業廃止許可 7月31日:運輸営業廃止。バス部門を天塩鉄道バスに譲渡

開業の際には車両不足のため夕張鉄道9号を借入れ、1942年(昭和17年)に譲り受けたそうですが、なんと新車のC58を購入しています。しかも2両も…。しかし、なぜ貨車も客車も万能なD51にしなかったのでしょう。
価格の問題があったのかなぁ~。蒸気機関車の価格って知らないけど。(笑)

さて、北炭の撤退後ですが経営権が天鉄に移ってから石炭の産出量が不思議な事に急増します。
昭和31(1956)年10月には 9,300t/月産と、開坑以来の最高を記録したそうですが、何が変わったのかは謎です。

「小平百話」という本には天鉄のことが登場していたと思います。さっき探したけど行方不明…。
観光客誘致のために、本郷地区に桜を植えて公園の整備を図り本郷公園駅を設置し賑わったとか書いてあったはずです。

しかし、そんな経営努力も空しく、25.4kmの路線に100名以上の鉄道部門の従業員が居たそうですが、さらに3両の蒸気機関車+6両の客車+29両の貨車…、これらを維持することはさすがに無理がありました。

結果として天鉄は開業からわずか26年での廃止となりました。
終点の駅があった達布(たっぷ)地区には、当時賑わったであろう駅舎はもちろん、駅前旅館、銭湯、商店街…はありません。あるのは貨車に石炭を積み込むホッパーなどが辛うじて現存しています。

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しかし、炭鉱はすべて無くなったかと思いきや…。昭和58(1983)年に空知炭礦達布露天坑及び吉住炭礦東坑が採炭を始めています。
今年の5月にたまたま見かけた「住吉炭鉱」の看板。たぶんこの奥で露天掘りをしているのでしょう。

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その時に撮った、初夏の達布の風景です。

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このホッパーには当時三本のレールがあった構造のようですね。
当時のC58も写っている写真を見てみたいものです。
赤平の「北炭赤間炭鉱」も同じような構造ですが、撮っているのにアップしてなかった?(笑)

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ザックリと約半世紀前の鉄筋コンクリート造の建築物です。
雨ざらしの状態で、コンクリートが風化して鉄筋が見えていたり、現在のコンパネとは違いバラ板で型枠を作った跡がはっきりと残っています。当時の工法が伝わる建築物としても貴重なものです。

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真夏と違って、新緑の鮮やかさもあり「草木が鬱蒼と茂る…」感が少ないかもしれませんね。

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炭鉱住宅だったのか、鉄道関連の宿舎だったのか、雰囲気のある建物。

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パッと見に二戸長屋の炭鉱住宅っぽいのですが、ん?と思ったのは腰折屋根です。
炭住だとしたらそんなに予算を掛けないで建てただろうし…。
腰折れ屋根は、農家としてなら有り得るものの、農家で二戸長屋って無いだろうし…。謎ですね。

ちなみに腰折屋根のことを、マンサード(屋根)と言う方もたまにいますが間違いというか勘違いです。
17世紀だったかフランスの建築家マンサールが考案したとされるのは寄棟で4方向とも2段階に勾配を変えることによって、天井高を高くしたり屋根裏部屋をより広く設置可能な構造にできるというもので、切妻屋根での腰折れ屋根はギャンブレル(屋根)と言うのが正解です。…ついついスイマセン。。。(笑)

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