北海道と仙台藩の関わりを知る

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※伊達市遠望

北海道と仙台藩は深い関わりがあります。

江戸時代後期、幕府はロシアの脅威に備えるため、寛政11年(1799年)に東蝦夷地、文化4年(1807年)には西蝦夷地を天領とし奥羽四藩(津軽・盛岡・久保田・荘内)に警備を命じました。

翌、文化5年(1808年)仙台藩に箱館・国後・択捉への出兵を命じ約2,000名の兵を派遣し、文政4年(1821年)まで続きますが、一旦松前藩領になります。

安政2年(1855年)幕府は松前藩領を除く蝦夷地を再び天領とし、奥羽6藩(盛岡・仙台・会津・久保田・荘内・津軽)に警備を命じ、仙台藩は東蝦夷地の白老から択捉までの警備を担当。

仙台藩は現白老町に陣屋を置き、根室・厚岸・択捉・国後に出張陣屋を構えます。安政6年(1859年)11月には、白老・十勝・厚岸・国後・択捉を仙台藩の所領とすることが認められます。

仙台藩預りの天領の警備地(日高、釧路、歯舞、色丹)を含めると、なんと北海道の1/3の面積を占めるほどでした。

過去記事に…。
・「夏の思い出 2010 ~白老仙台藩陣屋跡~」
・「仙台藩白老元陣屋資料館」

明治2年、蝦夷地は北海道となり日本各地から大くの人々が入植します。
時代により様々な入植の形態がありましたが、団体での移住で成功したのが仙台藩伊達家の人々です。

伊達家は、戦国時代末期に活躍した独眼竜政宗で有名ですが、戊辰戦争後には28万石に減封、多くの家臣団が路頭に迷う事態になってしまいます。

そんな中、北海道開拓に望みを繋いだのが分家の亘理伊達家・岩出山伊達家・白石領主の片倉家でした。

北海道でアイヌ語由来以外の市町村名は稀ですが、伊達市があります。
もちろん伊達家由来です。伊達市のHPの「まちの歴史」には…。

現在の宮城県南部に位置する亘理町からの集団移住によって開拓されたまちです。この集団移住を指揮したのが亘理伊達家15代伊達邦成です。

亘理伊達家は戦国武将の伊達政宗と共に活躍した伊達成実が先祖です。

戊辰戦争が勃発すると、仙台藩主伊達慶邦は奥羽越列藩同盟の総督になりました。しかし戦いに敗れ、その報復として、仙台藩は大幅に領地を没収されました。

これに伴い、亘理伊達家の家禄もほとんど失う事態に陥ってしまいました。このままでは生活していくことができなくなり、伊達邦成は新天地を求め、北海道移住の許可と開拓地の割り当てを明治政府へ願い出ました。

そして、明治2年8月に胆振国有珠郡(現在の伊達市)の開拓が許可されることになりました。

しかし、明治政府から移住費用や開拓に要する費用の支援は一切なく、伊達家は先祖伝来の宝物や装飾、装身具の類まで売り払って移住費用を捻出しなければなりませんでした。

移住は明治3年から14年までの間に9回行われ、総勢約2,700人が移住しました。

伊達邦成は、既にアイヌの人々の集落がある有珠地区周辺ではなく、あえて未開拓の原野から開拓を始めました。

その際アイヌの人々に対して、常に礼節を重んじること、騙したり彼らの馬を無断で使用したりしないこと、そして住宅にみだりに立ち入ってはいけないという規則をつくり、家臣らも忠実にそれを守りました。

そのため、争いは一切なく、アイヌの人々も、親切に天候や土地の状態、山菜などの食べ物を教えたほか、常に開拓を手助けしてくれたのでした。

…とあります。

もう少々掘り下げて見てみましょう。

亘理伊達家は、伊達政宗の大叔父・伊達実元の息子、伊達成実(しげざね)が政宗を支え、彼の代から亘理を本拠にするようになる。
成実には子供がなく、従兄弟である政宗の9男・宗実を養子に迎え、亘理伊達家は政宗の子孫が代々受け継いでいく。

明治維新の戊辰戦争で仙台藩は奥羽越列藩同盟に加わり、家臣団の内部分裂もあり降伏し62万石の知行は半分以下の28万石になります。

亘理伊達家の知行は2万4000石からなんと58石。
当主の伊達邦成は家臣のため、家老の常盤新九郎(田村顕允)が提案した政府の「北海道開拓計画」を受け入れ、胆振国有珠郡支配の認可を1869(明治2)年8月に獲得。

面白いのは、この計画が仙台の本家にバレて始末書を提出。
邦成は本家の伊達慶邦に面会し事態を収拾。

どのようなお話だったのかは知りませんが、その年の9月には田村顕允を現地調査の先発とし自身も渡道し有珠に開拓役所を設置します。

ここで邦成の決意を感じる逸話があります。

「単独移住を認めず、一家全員での移住とする」

つまり、腰かけでは無く故郷への未練を断ち切り新天地に骨を埋める覚悟を持っての移住で臨むということでしょう。

1870(明治3)年3月、第1回移民団は開拓使の船に乗り室蘭に上陸。
老人・婦女子はアイヌ人に背負われ、それ以外の者は徒歩で有珠へ向かう。

突貫工事で仮住居が建設され、4月17日には邦成の鍬入れにより李の苗13本が植えられ伊達市の開拓がスタート。
1881(明治14)年までに約2700人が有珠郡に移住。

2016年7月31日現在
人口 : 35,236人
男性 : 16,418人
女性 : 18,818人
世帯 : 17,918世帯

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