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北海道の分領支配



北海道はイメージ的に人が少ないと思われがちですが、首都圏や大都市は別としても、福岡や京都より都道府県別ランキングとしては上位。

北海道の人口は、5,381,711人
※2016年6月30日現在

1 東京都 13,513,734人
2 神奈川県 9,127,323人
3 大阪府 8,838,908人
4 愛知県 7,484,094人
5 埼玉県 7,261,271人
6 千葉県 6,224,027人
7 兵庫県 5,536,989人
8 北海道 5,383,579人
※2016年4月1日現在

ちなみに面積はダントツ1位の78,421.26K㎡で、人口密度はダントツ最下位の68.65人/K㎡です。

1,000,000㎡゜/68.65人=14,566.64㎡
14,566.64㎡/3.3=4414.134坪
ん?単純計算ではスゴイことになりますね。

もちろん土地の所有権は別としてですが、北海道民は一人あたり4千4百坪を持っているというイメージだけでも素晴らしい。

国有地・道有地・市町村有地・私有地…。地目は宅地・山林・田・畑・雑種地・原野…。さらに用途地域…。
そんな法的なシガラミを無視すると、たとえば4人家族であれば1万7千坪程になります。そんなお話をしてあげられるお父さんとかって夢があって良いかもしれませんね。

さてさて、前置きがかなり長くなってしまいました。(笑)
今回は、北海道の大地主になるチャンスがあったというお話です。

大地主の概念は人それぞれでしょうが、市町村単位に留まらず…という規模のお話になります。

明治新政府は蝦夷地の開拓と北方警備の必要を説く意見が大勢でしたが、とても多額の予算を付けられる状態ではありませんでした。そこで各諸藩・士族・庶民の志願者に分割して支配させ開拓させる制度を設けました。

時は、明治2年(1869年)。蝦夷地から北海道へと改名し(北海道の誕生)、開拓使が発足した北海道元年とも言える年です。

当時の日本には土地所有制度は確立していません。戦国時代のとったとられたの時代から、幕藩体制として領有支配の江戸時代。しかし、幕末に起こった戊辰戦争により一部の諸藩の状況は大きく変化します。

江戸城が無血開城され、徳川家は江戸から駿府70万石へ移封。これを不満とした幕臣たちは北関東、北越、南東北など各地で抵抗を続けますが新政府軍の勝利に終わります。
京都と江戸の警備に当たっていた会津藩・庄内藩は朝敵と見なされます。

そんな負け組たちはどうなったのか…。

仙台藩 - 28万石に減封(62万石)※()内は以前の石数
米沢藩 - 14万石に減封(18万石)
庄内藩 - 12万石に減封(17万石)
二本松藩 - 5万石に減封(10万石)
棚倉藩 - 6万石に減封(10万石)
長岡藩 - 2万4千石に減封(7万4千石)
一関藩 - 2万7000石に減封(3万石)
上山藩 - 2万7000石に減封(3万石)
亀田藩 - 1万8000石に減封(2万石)
天童藩 - 1万8000石に減封(2万石)
泉藩 - 1万8000石へ減封(2万石)
湯長谷藩 - 1万4000石へ減封(1万5000石)
請西藩 - 除封改易(1万石)

会津藩 - 陸奥斗南藩3万石に転封(23万石)
福島藩 - 三河国重原藩2万8000石へ転封(3万石)
盛岡藩 - 旧仙台領の白石13万石に転封(20万石)
山形藩 - 近江国朝日山へ転封、朝日山藩を立藩。石高は5万石から変わらず。

仙台藩は半分以下に、会津藩は会津藩領を没収され家名存続が許されたものの、会津松平家は北の最果て下北半島の地に飛ばされ、「斗南藩(となみはん)」となります。

「北海道の分領支配」は、明治2年(1869年)7月22日に太政官布告が出されますが、1ヵ月が過ぎても6藩・1士族しか出願が無く、政府は特に大藩に対し強制的に開拓を命じました。

結果的に分領支配に出願したのは、1省・1府・24藩・2華族・8士族・2寺院の計38になります。

しかし、多くは財政難や開拓への温度差(熱意?)もあり、ほぼ約1/3が受領前に返上を願い出て、受領後も予備調査や官吏の派遣だけにとどまるところが大半だったようです。

一覧を作ったのでご覧ください。

 領主
 北海道の国名・郡名 領有期間 になっています。
 ※当時の北海道は11国86郡が設置されました。

・兵部省(現在の防衛省に相当)
 後志国 太櫓郡、瀬棚郡  1869年(明治2年)9月14日~1870年(明治3年)1月5日
 後志国 高島郡、小樽郡  1869年(明治2年)9月14日~1870年(明治3年)1月5日
 胆振国 山越郡  1869年(明治2年)9月14日~1870年(明治3年)1月5日
 石狩国 石狩郡  1869年(明治2年)8月20日~1870年(明治3年)1月8日
 釧路国 足寄郡、白糠郡、阿寒郡  1869年(明治2年)9月14日~1870年(明治3年)1月8日

・東京府
 根室国 花咲郡(志古丹以外)、根室郡、野付郡  1870年(明治3年)6月17日~1870年(明治3年)10月9日

・徳川慶頼(よしより 田安徳川家当主 後に伯爵)
 十勝国 広尾郡、当縁郡  1870年(明治3年)1月9日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有

・徳川茂栄(もちはる 一橋徳川家当主 松平容保(会津藩主)の実兄)
 十勝国 河西郡  1870年(明治3年)1月9日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有

・斗南藩(旧会津藩)
 後志国 太櫓郡、瀬棚郡  1870年(明治3年)1月5日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有
 後志国 歌棄郡  1870年(明治3年)1月5日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有
 胆振国 山越郡  1870年(明治3年)1月5日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有

・弘前藩(現在の青森県西半部)
 後志国 島牧郡  1869年(明治2年)9月19日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有

・久保田藩(1871年(明治4年)3月3日に秋田藩に改称)
 千島国 国後郡  1869年(明治2年)8月29日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有

・大泉藩(旧庄内藩、現在の山形県鶴岡市)
 胆振国 虻田郡  1869年(明治2年)9月7日~1870年(明治3年)9月

・米沢藩(現在の山形県東南部置賜地方)
 後志国 磯谷郡  1869年(明治2年)9月14日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有

・仙台藩
 日高国 沙流郡  1869年(明治2年)11月24日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有
 根室国 標津郡、目梨郡  1871年(明治4年)5月12日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有
 千島国 振別郡  1870年(明治3年)5月~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有
 千島国 紗那郡  1869年(明治2年)10月9日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有
 千島国 蘂取郡  1870年(明治3年)5月~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有

・伊達邦成(くにしげ 仙台藩一門・亘理伊達氏第14代)
 胆振国 虻田郡  1871年(明治4年)3月14日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有
 胆振国 有珠郡  1869年(明治2年)8月25日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有
 胆振国 室蘭郡  1870年(明治3年)5月27日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有

・伊達邦直(くになお 仙台藩一門・岩出山伊達家当主)
 石狩国 空知郡  1869年(明治2年)10月9日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有

・伊達宗広(むねひろ 仙台藩一門・宮床伊達氏第11代)
 石狩国 空知郡  1869年(明治2年)10月9日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有

・亘理胤元(わたり たねもと 仙台藩一門・涌谷伊達氏第13代)
 石狩国 空知郡  1869年(明治2年)11月14日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有

・石川邦光(くにみつ 仙台藩一門筆頭・角田石川氏第14代)
 胆振国 室蘭郡  1869年(明治2年)9月12日~1870年(明治3年)5月27日

・片倉邦憲(くにのり 伊達氏重臣。白石片倉家第12代)
 胆振国 室蘭郡  1870年(明治3年)5月27日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有
 胆振国 幌別郡  1869年(明治2年)9月12日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有

・一関藩(陸奥磐井郡一関 現在の岩手県一関市)
 胆振国 白老郡  1869年(明治2年)8月17日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有

・水戸藩
 天塩国 苫前郡、天塩郡、中川郡、上川郡  1869年(明治2年)8月17日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有
 北見国 利尻郡  1869年(明治2年)8月17日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有

・金沢藩
 北見国 礼文郡、枝幸郡  1869年(明治2年)8月28日~1870年(明治3年)6月19日
 北見国 宗谷郡  1870年(明治3年)1月~1870年(明治3年)6月19日

・静岡藩
 十勝国 上川郡、中川郡、河東郡、十勝郡  1869年(明治2年)8月28日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有
 北見国 網走郡、斜里郡  1869年(明治2年)8月28日~1870年(明治3年)6月19日

・彦根藩(近江国の北部を領有した藩)
 日高国 沙流郡  1869年(明治2年)11月24日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有
 千島国 択捉郡  1869年(明治2年)9月17日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有

・和歌山藩
 北見国 紋別郡  1869年(明治2年)8月29日~1870年(明治3年)8月

・高知藩
 千島国 蘂取郡  1869年(明治2年)12月10日~1870年(明治3年)2月
 石狩国 夕張郡  1869年(明治2年)8月20日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有
 胆振国 勇払郡、千歳郡  1869年(明治2年)8月20日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有

・徳島藩
 日高国 新冠郡  1869年(明治2年)8月19日~1871年(明治4年)3月15日

・稲田邦植(くにたね 徳島藩の筆頭家老 淡路島の洲本城主 現在の兵庫県洲本市 稲田家16代)
 日高国 新冠郡  1871年(明治4年)3月15日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有
 日高国 静内郡  1870年(明治3年)10月15日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有
 根室国 花咲郡(志古丹)  1870年(明治3年)10月15日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有

・鳥取藩
 後志国 島牧郡  1869年(明治2年)12月2日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有

・岡山藩
 後志国 島牧郡  1870年(明治3年)2月2日~1871年(明治4年)5月3日

・山口藩
 石狩国 樺戸郡、雨竜郡  1869年(明治2年)8月28日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有
 天塩国 増毛郡、留萌郡  1869年(明治2年)8月28日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有

・広島藩
 北見国 常呂郡  1869年(明治2年)8月28日~1870年(明治3年)10月
 釧路国 網尻郡  1869年(明治2年)8月28日~1870年(明治3年)10月

・福山藩(広島県東部)
 釧路国 足寄郡、白糠郡、阿寒郡  1870年(明治3年)5月3日~1871年(明治4年)6月

・福岡藩
 後志国 久遠郡、奥尻郡  1869年(明治2年)8月28日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有

・鹿児島藩
 日高国 浦河郡、様似郡  1869年(明治2年)8月28日~1869年(明治2年)10月
 十勝国 広尾郡、当縁郡  1869年(明治2年)8月28日~1869年(明治2年)10月
 十勝国 河西郡  1869年(明治2年)8月28日~1869年(明治2年)10月

・佐賀藩
 釧路国 釧路郡、川上郡、厚岸郡  1869年(明治2年)8月17日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有
 千島国 振別郡  1869年(明治2年)12月10日~1870年(明治3年)5月

・五島盛明(元富江領領主 現在の長崎県五島市)
 後志国 磯谷郡  1869年(明治2年)9月14日~1871年(明治4年)3月28日

・熊本藩
 根室国 標津郡、目梨郡  1869年(明治2年)8月28日~1871年(明治4年)3月14日

・佛光寺(ぶっこうじ 京都市下京区にある真宗佛光寺派の本山)
 後志国 島牧郡  1869年(明治2年)12月3日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有

・増上寺(ぞうじょうじ 東京都港区芝公園四丁目にある浄土宗の寺院)
 石狩国 浜益郡  1870年(明治3年)10月10日~○1871年10月4日(明治4年8月20日)の分領支配終了まで領有
 日高国 静内郡  1869年(明治2年)9月3日~1870年(明治3年)10月10日
 根室国 花咲郡(志古丹)  1869年(明治2年)12月10日~1870年(明治3年)10月10日

1省・1府・24藩・2華族・8士族・2寺院の計38が、最後まで支配地を維持したのは、13藩・2華族・6士族・2寺院。
鹿児島藩なんてたったの数か月です。体裁がとれないので名義貸し。そもそもやる気が無かったということでしょうか。

分領支配下の開拓は全般に低調でしたが、そんな中特に開拓に熱心だったのは、仙台藩の各支藩や斗南藩(旧会津藩)などでした。まさに背水の陣、領民を食べさせることができなくなったのですから…。

…とはいうものの、リーダーの統率力が後の北海道開拓に大きく影響したと思います。

仙台藩の伊達邦成・伊達邦直・片倉邦憲や、徳島藩の稲田邦植らは分領廃止後も北海道開拓に尽力し、その歴史は現代へと続きます。

伊達邦直は、現在の当別町。
邦直の実弟である伊達邦成は現在の伊達市。
片倉邦憲は、現在の札幌市白石区及び厚別区の全域及び豊平区の一部。
稲田邦植は、現在の静内町。

「北海道の分領支配」は、明治4年(1871年)10月4日(旧暦 明治4年8月20日)に廃止となります。

「今日は何の日?」ネタではありませんが、145年前の今日廃止されたのですね。
ちなみに、Wikipediaの「10月4日」に、「北海道においての分領支配が廃止」なんてのはありません。(笑)

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COMMENT 2

あず  2018, 04. 04 [Wed] 22:00

コメントありがとうございます。

今読み返しますと、良い記事ですね。(笑)
ザックリですが時の流れの大筋は理解できます。

当時は何時間もこんな記事を書いていましたが、現在はなかなか時間がとれなくて、当ブログの記事数も激減しています。

しかし、過去に書いたものは残る。
極端に言えば未来永劫残る訳ですね。

さらに極端ではありますが、人生の欠片をご覧いただき、褒めてくださる方に文字を残していただける…。

人生って、いろいろな欠片の積み重ねなのかもしれませんね。

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こんこん  2018, 03. 19 [Mon] 21:14

詳しい資料をありがとうございます

はじめまして。札幌市在住です。
系図を探求する者としてとても貴重で詳しい資料です。
素晴らしいサイトに感謝しております。

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