北海道の廃線 旧 富内線 振内駅 ~「振内鉄道記念館」~

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富内線(とみうちせん)は、日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線(地方交通線)です。
勇払郡鵡川町(現むかわ町)の鵡川駅で日高本線から分岐し、沙流郡日高町の日高町駅までを結んでいました。

士幌線が石北本線の上川駅まで延伸計画があったように、富内線は根室本線金山駅まで結ぶ計画がありました。
もし計画が実行されていたら、どちらも峠越えの路線として全国的にも有名な路線になっていたでしょう。

■ 路線データ(廃止時)

区間(営業キロ):鵡川 - 日高町 82.5km
駅数:15(起点駅を含む) 全線単線 非電化
閉塞方式:タブレット閉塞式

鵡川駅 - 豊城駅 - 春日駅 - 芭呂沢駅 - 旭岡駅 - 栄駅 - 豊田駅 - 穂別駅 - ((貨)深牛駅) - 富内駅 - 幌毛志駅 - 振内駅 - 仁世宇駅 - 岩知志駅 - 日高岩内駅 - 日高三岡駅 - 日高町駅

■ 歴史

沿線から産出されるクロム鉱や石炭、森林資源の開発のため、北海道鉱業鉄道が金山線(沼ノ端 - 邊富内)として1922年から翌年にかけて開業したもので、1924年に北海道鉄道(2代)と改称。1943年に同社の札幌線(現在の千歳線)とともに戦時買収され富内線になる。

その際、日高本線と路線が近接していた沼ノ端 - 豊城間は不要不急線として休止(事実上の廃止)され、豊城 - 鵡川間に新線を建設して日高本線と接続させている。富内まで完成後、富内以遠の工事は続けられていたが、戦時中の財政難や富内 - 振内間の日振トンネルの難工事(蛇紋岩由来の膨張性地質)によって完成は大きく遅れ、富内 - 振内間は1958年、全線開通は1964年となった。

鵡川 - 富内間は、改正鉄道敷設法別表第134号に規定する予定線「膽振國鵡川ヨリ石狩國金山ニ至ル鐵道及「ペンケオロロツプナイ」附近ヨリ分岐シテ石狩國登川ニ至ル鐵道」の一部であり、本来、根室本線の金山駅に接続するはずであった。予定線の後段部分の一部は「紅葉山から占冠を経て金山に至る鉄道(紅葉山線)」に変更し、その一部が石勝線(新夕張駅 - 占冠駅)として開業している。富内までは鵡川に沿って開通した区間であるが、そのまま北海道道610号占冠穂別線に沿って鵡川をさかのぼると清風山信号場で石勝線とぶつかり、ニニウを経て占冠へとたどり着く。

富内 - 日高町間については、同法別表第142号の2に規定する予定線「十勝國御影附近ヨリ日高國右左府ヲ經テ膽振國邊富内ニ至ル鐵道」の一部として開業し、残りの区間については、「新得より占冠を経て日高町に至る鉄道(狩勝線)」に変更され、その一部が石勝線(占冠駅 - 上落合信号場)として開業している。富内線は富内から南に進路を変え、トンネルを抜けて幌毛志からは再び北東に進路を戻し、沙流川と国道237号に沿って日高町へ向かう経路をとった。なお、そのまま国道237号を進むと占冠に至る。

■ 年表

・1922年(大正11年)
 7月24日 北海道鉱業鉄道が沼ノ端 - 生鼈(いくべつ、後の旭岡)間を金山線として開業。
 ニナルカ駅・上厚真駅・上鵡川駅・萠別駅・生鼈駅を新設。

・1923年(大正12年)
 6月12日 生鼈 - 似湾(後の栄)間を延伸開業。芭呂沢駅・似湾駅を新設。
 11月11日 似湾 - 邊富内(後の富内)間を延伸開業。杵臼駅・穂別駅・邊富内駅・入鹿別駅を新設。

・1924年(大正13年) 3月3日
 北海道鉱業鉄道が北海道鉄道に社名を変更。
 6月10日 (貨)深牛駅を新設。

・1925年(大正14年)7月1日 上勇払駅を新設。

・1926年(大正15年)5月12日 上勇払駅を北松田駅に改称。

・1927年(昭和2年)9月8日 木金似駅を新設。

・1931年(昭和6年)5月31日 木金似駅を廃止。

・1943年(昭和18年) 8月1日
 北海道鉄道を買収し国有化。沼ノ端 - 富内間 (66.0km) を富内線。
 上鵡川駅を豊城駅、萠別駅を春日駅、生鼈駅を旭岡駅、似湾駅を栄駅、杵臼駅を豊田駅 邊富内駅を富内駅、
 上勇払駅を北松田駅、ニナルカ駅を静川駅に改称。 芭呂沢駅・深牛駅を廃止。

 11月1日 鵡川 - 豊城間 (3.6km) の連絡線開業。
 沼ノ端 - 豊城間 (24.1km) を休止、富内線を鵡川 - 富内 (45.5km) と改め、北松田駅・静川駅・上厚真駅・入鹿別駅を休止。

・1958年(昭和33年)11月15日 富内 - 振内間 (12.9km) を延伸開業・。幌毛志駅・振内駅を新設。

・1964年(昭和39年)11月5日 振内 - 日高町間 (24.1km) を延伸開業し全通。
 仁世宇駅・岩知志駅・日高岩内駅・日高三岡駅・日高町駅を新設。

・1986年(昭和61年)11月1日 全線 (82.5km) を廃止し、道南バスのバス路線に転換。@Wikipediaより抜粋編集

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■ 保存

富内駅は駅舎や駅構内がほとんど保存されている事は知っていましたが、スケジュール的に今回はスルーしました。
帰り道にあるこの振内駅は駅舎こそ残っていないものの、ホームや線路が残っており車両も保存されています。

振内駅(ふれないえき)は、北海道沙流郡平取町振内にあった日本国有鉄道(国鉄)富内線の駅(廃駅)で、富内線の廃線に伴い1986年(昭和61年)11月1日に廃駅。廃止時の駅構造は、島式ホーム1面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅です。上下本線それぞれの外側に、安全側線を持った側線を各1線ずつ有し、上り線側の側線の駅舎傍には貨物用の短い単式ホームもあったそうです。

旧駅構内は1986年(昭和61年)11月から平取町により「振内鉄道記念館」として整備され、駅舎は撤去されたものの新たにバスの待合所兼用の建物が建築され、館内1階にC58形蒸気機関車の動輪や、当時使用していた閉塞器、備品、保線用具、駅スタンプ、写真パネルなどが保存・展示されているそうですが、この日は見学できませんでした。

館外には当時の状態のままに側線を含むレールとホーム、腕木式信号機が保存され、旧上り線上にはD51-23号機がサハリン(旧・樺太)から戻って静態保存・展示。旧下り線に国鉄の旧型客車であるスハ45形スハ45 37とスハフ42形スハフ42 519の2両も静態保存・展示。客車はライダーハウスとしても利用され、内装は宿泊施設用に変更されているそうです。

ホームには振内駅・幌毛志駅・仁世宇駅・岩知志駅の駅名標が移設保存されています。

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■ D51-23号機

このデゴイチ=D51は、1949年1月から4月にかけて5社で30両が製造され樺太に送られ1970頃まで活躍し1990に日本に帰国したものだそうです。国内向けと区別するために形式番号と車両番号の間にハイフンが入っていて、防寒のために運転席は密閉構造になっているなど、一部構造が樺太仕様になっているとのこと…。

日本車輌製造(7両) : D51-1 - 7(製造番号1512 - 1518)
川崎車輛(7両) : D51-8 - 14(製造番号3170 - 3176)
日立製作所(6両) : D51-15 - 20(製造番号2032 - 2037)
汽車製造(5両) : D51-21 - 25(製造番号2576 - 2580)
三菱重工業(5両) : D51-26 - 30(製造番号665 - 669)

なぜ樺太へ送られることになったのかとか、細かなパーツの刻印など、時間があればじっくりと探索したくなる、歴史的にも車両的にも貴重な一台ですね。

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セコマで飲み物を買って、延伸予定だった占冠経由で旭川へ帰りました…。

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