「蠣崎波響」の「夷酋列像」

まず、タイトル読めますか?(笑)
「蠣崎 波響(かきざき はきょう)」の「夷酋列像(いしゅうれつぞう)」です。

で、何?ですよね。

17041201.jpg ※北海道博物館で撮影

ザックリ言いますと、江戸時代後期の松前藩(蝦夷地=現:北海道 唯一の藩)の武士がアイヌの酋長を描いたというお話です。

蠣崎 波響=蠣崎 広年(かきざき ひろとし)は、一介の武士ではなく松前藩12代藩主である松前資広の五男として、宝暦14年5月26日(1764年6月25日)に誕生していますが、生まれた翌年に父が亡くなり異母兄の道広が跡を継いだため、家禄五百石の家老「蠣崎家」の養子になります。

幼い頃から画を好み8歳の頃には馬の駆ける様を描いて人々を驚かせたと伝えられているとか…。叔父である広長は波響の才能を惜しみ、安永2年(1773年)に江戸の南蘋派の「建部凌岱」に学ばせたものの、翌3年に凌岱が亡くなり遺言に従い宋紫石に師事。

天明20年(1783年)20歳の時に松前に戻り、雅号を波響としたのはこの頃からだそうです。

寛政元年(1789年)5月に、国後島とメナシのアイヌと和人(日本人)の間に「クナシリ・メナシの戦い」があり、松前藩に協力したアイヌの酋長を描いたものが「夷酋列像」です。

「クナシリ・メナシの戦い」を簡単に言いますと、和人の商人の酷使に耐えかねて蜂起したアイヌが現地の70人余りの和人を殺害し、松前藩は260名の討伐隊を派遣します。その指揮官の中に蠣崎波響もいました。

戦いを鎮圧し藩に協力した43人のアイヌを松前城に同行し、藩主である松前道広はもっとも功労があるとされた12人の肖像画を蠣崎波響に命じ描かせたのが「夷酋列像」とされています。※諸説あります

寛政2年(1790年)11月に画は完成し上洛。時の光格天皇の叡覧を仰ぐ。

ちなみに描かれた人物は…。

1.マウタラケ ウラヤスベツ惣乙名
2.チョウサマ ウラヤスベツ乙名
3.ツキノエ クナシリ惣乙名
4.ションコ ノッカマフ乙名
5.イコトイ アッケシ乙名
6.シモチ アッケシ脇乙名
7.イニンカリ アッケシバラサン乙名
8.ノチクサ シャモコタン乙名
9.ポロヤ ベッカイ乙名
10.イコリカヤニ クナシリ脇乙名
11.ニシコマケ アッケシ乙名
12.チキリアシカイ ツキノエの妻、イコトイの母

※アイヌに酋長という認識はありませんが、便宜上和人が惣乙名・乙名・脇乙名…。


「夷酋列像」は今どこにあるのか…。
・ブザンソン美術館 イコリカヤニを除く11人の肖像に松前廣長の序文2枚が附属。来歴不明
・函館市中央図書館 ションコ、イコトイの肖像。
・粉本(函館市中央図書館所蔵) 波響からその子波鶩。シモチが欠けている代わり人名未詳の者3名の肖像が加わる。北海道指定有形文化財。

なんかよく解りませんが、 北海道博物館開館で記念特別展「夷酋列像 蝦夷地イメージをめぐる人・物・世界」というのがあったそうです。原画を見てみたかったなぁ~。

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Dailymotionに、NHK 北海道スペシャル 「幻の名画 夷酋列像の物語」 という動画がありました。
画質はイマイチですが伝わるかと…。


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