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神居古潭竪穴住居遺跡 2017 秋 vol.1



この3連休、新たなる発見と言いますか、観光地として旭川の神居古潭なんて昔の話…と思っていましたが、例のあちらの方らしき自撮り棒持参の方々含め多くの観光客の方が紅葉の時期に来られていました。

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しかぁ~し、神居古潭から徒歩数分のこの場所には誰も居ません。
国道12号線沿いに小さな看板はあるものの、普通に通り過ぎるでしょうし、そもそもこの場所に魅力を感じる方が居るのかって感じですけどね。

個人的には一般の観光客の方はスルーが望ましい。

この場所で好みのコーヒーを落とし、遠い過去に想いを馳せる。
そんな至福の時を、誰かに邪魔されたくはありません。
ま、いつかやりたいということですけどね…。(笑) 

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過去記事ありますが関連も含めで、「擦文」はいかがでしょう。

所在地 神居町神居古潭 石狩川河川敷
指定年月日 昭和32年12月17日
所有者 北海道開発局

今回はvol.1としましたが、国と道と市の説明を比較…。

◆文化遺産オンライン(国)
文化遺産オンラインは、文化庁が運営する我が国の文化遺産についての電子情報広場(ポータルサイト)です。 全国の博物館・美術館等から提供された作品や国宝・重要文化財など、さまざまな情報をご覧いただけます。

《神居古潭竪穴住居遺跡 (かむいこたんたてあなじゅうきょいせき)》 北海道指定史跡
・神居古潭竪穴住居遺跡は、9世紀後葉から12世紀頃にかけての擦文時代のムラで、現在も219軒の家の跡が窪みをみせています。
・ここに大集落ができたのは、石狩川の流域の中でも、川に接して集落を設けることができる地形がこの神居古潭から深川市広里の間だけであったことによるものです。
・擦文時代には、本州との交易が活発に行われており、この遺跡では、本州に交易品として干鮭を出荷するため、石狩川に接して集落を構え、たくさんのサケを捕獲していたようです。
・神居古潭は、古くからアイヌ伝説の残る風光明媚な観光スポットです。石狩川の激流がつくりだした「おう穴」や、縄文時代のストーンサークルなどの文化財も多く、市内からサイクリングロードを利用しての文化財巡りができます。

◆北海道文化資源DB(北海道) 《神居古潭竪穴住居遺跡》
石狩川の左岸にある、神居古潭つり橋から約1.5㎞の地点にあります。面積は約3.5haです。現在、この地域内には竪穴二百数十期と砦跡(チャシ)1カ所があります。
竪穴住居は、一辺の長さ約5mの正方形で、深さは約1m。内部には炉、柱穴、カマドがつくられています。
主な遺物は擦文式土器、紡錘車などがあり、奈良時代末期から平安時代にかけてのものと考えられています。

◆旭川市内の指定・登録文化財(旭川市) 《神居古潭竪穴住居遺跡》
石狩川の左岸、神居古潭つり橋から約1.5キロメートルの地点に所在し、その面積は約3.5ヘクタールで、現在この地域内には竪穴二百数十基とチャシコツ(砦跡)1カ所が存在しています。昭和33年以来そのうちの数基が発掘調査されています。住居は、一辺の長さ約5メートルの正方形で深さ約1メートル、内部には炉、柱穴、カマドが作られています。主な遺物は擦文式土器、紡錘車などがあり、使用された時代は奈良の末期から平安時代にかけてと思われます。

どうでしょう。チョイと蝦夷地(昔の北海道)の歴史をお勉強すると解りますが、国の説明って…。
擦文の民と、アイヌの民がごちゃ混ぜになっていないでしょうか。

個人的には、縄文=続縄文=擦文=アイヌ (蝦夷地には弥生文化はありません) という時の流れが自然だと思っています。

近年の和人(日本人)と蝦夷の民による交易の相手は松前藩しかないのですが、沿岸部の「場所」は古い歴史があるものの内陸部の現在の旭川での交易なんて、せいぜい江戸。

この竪穴の住居があったとされる場所には、和人に汚されていないといいますか和人を知らない民が生きていたのだと想っています。

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