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羽幌町 築別炭砿 vol.1



全国的にはもちろん道民にとっても羽幌町に炭鉱が在ったことを知らない方は大多数だと思います。
しかも、築別炭砿・羽幌炭鉱・上羽幌炭鉱があり、人口は最大で12,000人もあったそうですから驚きです。

簡単に歴史を振り返ってみましょう。

明治27年 羽幌村が設置。

昭和6年 太陽産業株式会社が神戸の鈴木商店から鉱区を譲渡され調査。
昭和14年 羽幌駅前に本店、築別御料に鉱業所を設け「築別炭坑」とし炭鉱住宅を建設。
昭和15年 築別炭坑開坑。羽幌鉄道株式会社による築別-羽幌間の鉄道建設を進める。
昭和16年 太陽産業株式会社の石炭鉱業設備を羽幌鉄道株式会社へ譲渡、「羽幌炭礦鉄道株式会社」と改名。
昭和15年12月8日 公立太陽尋常高等小学校が開校。
昭和16年4月 羽幌町立太陽国民学校と改称。
昭和22年4月 羽幌町立太陽小学校と改称。太陽中学校併設。上羽幌地区の炭鉱開発。
昭和23年 羽幌砿地区(三毛別本鉱)の炭鉱開発。
昭和40年 築別・羽幌砿業所を統合し羽幌砿業所と改称。旧砿業所を築別坑・羽幌坑・上羽幌坑と改称。
昭和42年3月 太陽小学校3階建ての校舎が落成。
昭和43年 採炭量最高113トン。
昭和45年 築別西坑を閉鎖し羽幌坑・上羽幌坑に縮小。
昭和45年11月 閉山。
昭和46年5月31日 太陽小学校閉校。

羽幌炭砿の世帯(人口)の移り変わり。
※年 築別炭砿 羽幌砿 上羽幌 合計の順番です。

昭和35年 1,166世帯(5,840人) 495世帯(2,426人) 445世帯(2,111人) 2,106世帯(10,377人)
昭和40年 1,406世帯(6,182人) 768世帯(3,682人) 568世帯(2,592人) 2,742世帯(12,456人)

以下世帯数無しですが。

昭和45年4月 (4,338人) (4,392人) (2,732人 )(11,462人)
昭和45年9月 ( 607人) ( 755人) ( 569人) ( 1,931人)
平成7年 (2人) (0人) (27人) (29人)

昭和45年の約半年で1万人が炭鉱から消えた羽幌町の人口は、昭和44年32,095人(6,958世帯)が最高で、昭和50年13,000人台、昭和60年12,000人台、2016年の人口は7,338 人。

現在の北海道189市町村で消えた1万人台の人口って実は多い方なのです。

66位  美瑛町 10,956人
67位  夕張市 10,922人
68位  厚岸町 10,630人

ちなみに最下位の189位は音威子府村ですが、2017年3月31日の住民基本台帳人口で743人。
記憶では数年前に1000人切ったんだと思っていましたが、減る一方のようです。。。

そう考えると現在の音威子府村の10倍以上の人達が、しかも狭いエリアで生活していたのですから町は賑わっていたことでしょう。

生活に必要な、役場支所や各会館、警察・消防、商店街・大五百貨店・映画館・飲食店…。
もちろん幼稚園や学校…。

それらがすべて消えた地に人は居ないけど、その人達が生活していた痕跡は存在している。

↓これはホッパー。
貨車に石炭を積込む施設ですから、鉄道が敷設されていた証拠になる建造物。

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広島の原爆ドームもそうですが、一般的に強いイメージのコンクリートの風化は悲しい。
解体する予算も無く、あえて解体する必要も無く放置されている。それでも威厳を保っているように想えてしまいます…。

「働いたんだよ。頑張ったんだよ。」
そんな声が聞こえたような気がしました。

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